「横手やきそば」の版間の差分

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戦後(1950年頃)、「元祖神谷焼きそば屋」の店主であった萩原安治が、地元の製麺業者と協力しながら作り上げたのが始まり。1965年頃には、[[駄菓子屋]]などでも売られるようになった(ピーク時は100店以上に)。
 
この地元で愛され育まれてきた横手やきそばは、[[2001年]]に、やきそば好きの横手市男性職員の一人が、やきそば提供店を食べ歩きをしてホームページを作り、これがマスコミに取り上げられブレイク(第1次ブーム)。一気に横手やきそばで町おこしが始まる。以後、横手市では、横手やきそば担当という新たなセクションを産業振興・観光セクションに設け、この市職員を初代・横手やきそば担当とした(現在4代目)。この年に市内のやきそば提供店が中心となって「横手やきそば暖簾会」を設立。2008年には、地域登録団体商標申請も視野に入れ協同組合化も実現し、第2次ブームを向えた(地域登録団体商標は2009年107現在7日出願加盟店41地域団体商標登録願2009-051140号)現在、協同組合横手やきそば暖簾会は42店舗)。スーパーマーケット向け商品の開発や販売促進、「[[B-1グランプリ]]」をはじめとしたグルメイベントへの出店などでPR活動を続けている。また東北6県限定で、[[ブルドックソース]]から地元のと共同開発した横手やきそば用のソースが発売されている。
 
2007年から、市内の横手やきそば店の資質向上を目指し、横手やきそば好きが集まった「横手やきそばグランプリ実行委員会」が結成された。毎年秋に、その年の四天王決定戦を実施している。はじめに覆面の審査員が、およそ2ヶ月間、覆面(麺)の食べ歩き調査(予選会)を夏に行い、上位10店舗を選出。本選の四天王決定戦は、秋田ふるさと村で実施され、上位4店舗がその年の四天王店として認定され、1年間営業できることになっている。