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{{正確性}}'''赤色テロ'''(せきしょくテロ)とは、
==語源==
「白色テロ」「赤色テロ」という用語は[[カール・マルクス]]の文献においても見られるが、本格的に行われるようになったのは、[[ロシア革命]]で[[ウラジーミル・レーニン]]が樹立した[[ボリシェヴィキ]]政権からである。
レーニンは早くから革命には[[テロリズム]]は必要不可欠であると考えていた。彼は[[フランス革命]]やロシアの[[アナキズム]]を研究し、熱心にテロを奨励したと言われている。レーニンは自身が狙撃された暗殺事件後の[[1918年]][[9月]]、「赤色テロ」政令を発して、「白色テロには赤色テロで応じる」ことを宣言した。しかし既にボルシェビキによるテロはいたる所で行われており、この宣言はそれを正当化する意味合いが強い。レーニンは、[[秘密警察]][[チェーカー]](後の[[ソ連国家保安委員会|KGB]])を動員して反対派を徹底的に粛清。国民に[[密告]]を奨励して「[[反革命]]」とみなされた人物を次々と逮捕・処刑した。[[ロマノフ朝]]最後の皇帝であった[[ニコライ2世]]一家も[[エカテリンブルグ]]で全員虐殺された。▼
==事件例==
===ロシア===
▲レーニンは、早くから革命には[[テロリズム]]は必要
===カンボジア===
[[1976年]]に親米政権を打倒して政権を掌握した[[クメール・ルージュ]]は、農村部から都市部に至るまで、反対派を大量に殺戮した。クメール・ルージュによる大量殺戮は、[[1979年]]にベトナム軍が介入するまで続いた。
== 関連項目 ==
*[[白色テロ]]
*[[反政府運動]]
*[[アナーキズム]]
*[[山村工作隊]]
*[[中核自衛隊]]
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[[Category:政治史]]
[[Category:共産主義]]
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[[cs:Rudý teror]]
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