「スティーヴ・ブルース」の版間の差分

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== 経歴 ==
; 選手時代
[[ジリンガムFC|ジリンガム]]でキャリアをスタートさせ、200を超える試合に出場する。[[1979年]]には[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]のユースチームにも選ばれる。その後、[[ノリッジ・シティFC|ノリッジ・シティ]]で3年間過ごし、[[フットボールリーグカップ]]を獲得する。そして[[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]へと移籍し、1992-93, 1993-94, 1995-96シーズンで[[FAプレミアリーグ]]を制した他、いくつものタイトルを獲得する。晩年には[[1996年]]に[[バーミンガム・シティFC|バーミンガム・シティ]]の一員となり、1998年7月から[[シェフィールド・ユナイテッドFC|シェフィールド・ユナイテッド]]で[[選手兼任監督|プレイングマネージャー]]として1年間プレーした後現役を引退。その後は監督としての道を歩んでいる。
 
;指導者時代
1998年7月に[[シェフィールド・ユナイテッドFC]]の選手兼監督に就任すると、1998-99シーズン終了まで指揮を執った。その後、正式に現役引退し、1999年5月に[[ハダースフィールド・タウンFC]]の監督に就任したが、2000-01シーズン途中にクラブの経営難により解任された。2001年4月、[[ウィガン・アスレティックFC]]監督に途中就任し、シーズン終了までクラブを率いた。6月に[[クリスタル・パレスFC]]監督に就任したが、18試合を指揮しただけで11月に監督の座を退いた<ref name="foot">footballista #141、ソルメディア、2009年11月4日号</ref>。
 
2001年、[[FLチャンピオンシップ]](2部)の[[バーミンガム]]監督に就任すると、2002年に[[プレミアリーグ]]昇格を達成し、攻撃意欲旺盛なチームを作り上げた<ref name="foot"></ref>。2006年に降格したが、1シーズンで再昇格を果たした。2007-08シーズン途中に[[ウィガン・アスレティックFC]]監督に就任すると、最下位争いをしていたチームを14位に引き上げた。2008-09シーズンはFW[[アムル・ザキ]]の活躍で一時は7欧州カップ戦出場を狙える位置に付けたが、MF[[ウィルソン・パラシオス]]とFW[[エミール・ヘスキー]]を冬の移籍期間に引き抜かれ、11位でシーズンを終えた。ウィガンでの在職中には、幼少時代からの最愛のクラブである[[ニューカッスル・ユナイテッドFC]]から監督就任のオファーを受けたが、シーズン途中であるということで断った<ref name="foot"></ref>。
 
2009年6月3日、[[サンダーランドAFC]]監督に就任した。
 
== 所属クラブ ==
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* [[UEFAカップウィナーズカップ]]:1990-91
* [[UEFAスーパーカップ]]:1991
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==