「ザッハプラカット」の版間の差分

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[[ドイツ]]がその源であるが、この傾向は印刷およびドローイングの技術が高かった[[スイス]]でさらに発展をみた。[[1923年]]からの、[[オットー・バウムベアガー]](Otto Baumberger)によるPKZ社のツイード・コートのポスターシリーズがよく知られている。これは衣服の特定の部分のクロース・アップに社名ロゴを添えたもので、写実性の高さから写真を使用していると思われることもあった。
 
ややあって、このような日常の事物の美を顕彰する傾向はスイス・[[バーゼル]]のデザイナーが担うようになり、この流れでザッハプラカットは[[1940年代]]から[[1950年代]]にかけてのいわゆる「スイス・スタイル」と重なるものと見られるようになった。いずれもバーゼルで活動した[[ニクラウス・シュトークリン]](Niklaus Stoecklin)、[[カール・ビルクハウザー]](Karl Birkhauser)、[[ヘアバート・ロイピン]](Herbert Leupin)、[[ドナルド・ブリュン]](Donald Brun)などのデザイナーが有名である。この時期のスイスのリトグラフ印刷の技術は世界屈指のものであり、鮮明な色彩や明瞭なタイポグラフィの実現に大きく寄与したといわれる。
 
目をひく視覚効果とユーモアを結びつけたザッハプラカットは、歴史的にも完成度としてもリトグラフがポスター制作の主要な技術であった時代の最後を飾る潮流であったが、そのコストと印刷工程の煩雑さから間もなく姿を消すこととなった。