「マイケル・アプテッド」の版間の差分

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このシリーズは、[[1991年]]から、英国のみならず、アメリカ、旧ソビエト連邦、南アフリカ、そして日本でもグラナダの監修の元で制作が開始された。特にソ連版は、国家の崩壊寸前に制作が開始されたため、その後の国家分裂・地位逆転など、取材対象者の人生は非常にドラマチックに展開している。また[[2005年]]には、英国BBCで、新たな7歳の取材対象者たちを追うニューバージョンの制作が始まっている。
 
このシリーズの出演者たちの出身階級を見ると、労働階級(66(Paul,Tony,Symon,Jackie,Lynn,Sue)、中産階級(22(Niel,Peter)、上流階級(66(John,Andrew,Charles,Suzy,Nick,Bruce)と、かなりの偏りがあることが分かる。また男女比的にも男10人、女4人とアンバランスである。アプテッドはこれについて、「彼らのその後を見ると、ホームレスから市議会議員になったNielや、教師を経て法律家になり、現在はバンドマンでもあるPeter(28歳出演以降取材を拒否)といった中産階級の取材対象者の人生が最もドラマチックであり、当時の自分たちの人選には非常に落胆している。しかし、[[1964年]]当時は、今のように中産階級人口が大幅に増加することも、女性の社会進出が進んで、女性首相まで誕生することなど誰も想像できなかった。また当時のグラダナ自体がかなり左寄りの会社であり、社会に階級格差が厳然と存在することを見せたいとの意図が働いたために、このような偏った人選になってしまった。」と語っている。
 
またアプテッドは、「私が死んだ後に、私が人々の記憶に残るとすれば、それは間違いなく'UPシリーズの制作者'としてであり、このシリーズこそが私の代表作である」と、UPシリーズへの思い入れの深さを表明している。彼はこの作品の出演者たちを「家族のような存在」であるとし、「このドキュメンタリーの中で彼らの死を取り扱いたくはない。願わくは、私が最初に逝く者でありたい」と、15歳年下の取材対象者たちへの想いをも語っている。