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'''竹山 晋民'''(たけやま しんみん)、本名は'''竹山 晋一郎'''(=たけやま しんいちろう)([[1900年]] - [[1969年]])は、[[鍼灸師]]。元大阪時事新報社社会部記者・[[ジャーナリスト]]・[[政治家]]。
[[茨城県]]に生まれ、[[1915真壁郡]]出身。[[早稲田実業学校]]を経て[[1925年]]に[[慶應義塾大学]][[経済学部]]を卒業し、同年に[[大阪時事新報]]に入社し社会部記者となる。1938年病を得て一時危篤状態に陥った際に雑誌、[[漢方医]]の治療で一命を取り留めたことから[[東邦洋医学]]に関心を持ち、[[駒井徳三]]の紹介で[[1938年]]に雑誌『東邦医学』編集部入り。1939年に弥生会(現[[経絡治療学会]])の世話人となる。[[1941年]]に[[漢方医学復興の理論]]を出版し、[[1942年]]に鍼灸師資格を取得。彼戦後は「経絡否定論」[[1953年]]の[[第26回衆議院議員総選挙]]に[[日本共産党]]公認で[[茨城県第3区 (中選挙区)|茨城県第3区]]から出馬、[[1960年]]には歴史的意義があ[[下館市|下館]][[市議会議員]]となるなど政治家として、我々は「経絡の本活動した。
彼は「経絡否定論」には歴史的意義があるとして、我々は「経絡の本質」の問題を改めて真剣に取り組まねばならないとし、。経絡は人体の病理現象を五臓六腑との関連において、症と証と経絡との関係を統一的に虚実とし、臨床的に把握することを可能にしているところのもので、それは診断の指針となって、治療の場所ともなるので、診断と治療は経絡によって統一され、[[十四経発揮]]を読んだこともなく、経絡を実際に臨床に駆使したこともなく、無用論を唱えたところで、我々には通じないので、現代医学の常識に合わないから、現代医学の知識では不明であるからと言って、それだけの理由で排斥してみても、一方的独断に終わるだけだと説いている。
== 著書 ==
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