「新宮氏」の版間の差分

編集の要約なし
 
== 新宮氏 (陸奥国) ==
'''新宮氏'''(しんぐうし)は、[[鎌倉時代]]~[[室町時代]]初期にかけて[[陸奥国]](後の[[岩代国]])[[耶麻郡]]新宮荘([[福島県]][[喜多方市]])を支配した氏族。本姓は[[平氏]]。[[佐原義連]]の子・[[佐原盛連|盛連]]の六男・[[新宮時連|時連]]を祖としている。
 
連には5人の兄がおり、長兄・[[猪苗代経連|経連]]は[[猪苗代氏]]、次兄・[[佐原広盛|広盛]]は[[北田氏]]、三兄・[[金上盛義|盛義]]は[[金上氏]]、四兄・[[蘆名光盛|光盛]]は[[蘆名氏]]、五兄・[[佐原盛時|盛時]]は[[加納氏]]の祖となり、それぞれの子孫は会津各地を分割支配した。新宮氏は[[新宮城_(陸奥国)|新宮城]]を築城して居城とし、また、[[新宮熊野神社]]を厚く信仰して多くの寄進を行なっている。[[室町時代]]になると新宮氏は同族の[[蘆名氏]]と争うようになった。新宮氏は[[応永]]9年([[1402年]])には加納氏を滅ぼし、また、同族の[[北田城]]主・[[北田上総介]]と結んで[[蘆名氏]]と戦うが、[[応永]]16年([[1409年]])に北田氏は蘆名氏に滅ぼされた。その後も一進一退の攻防が続いたが、[[応永]]27年([[1420年]])に[[蘆名盛政]]は[[新宮城_(陸奥国)|新宮城]]を落とし、当主・[[新宮盛俊]]は戦死し、残党は[[越後国|越後]]に落ち延びた。[[永享]]5年([[1433年]])、新宮氏残党は[[越後国]][[小川庄]][[津川城]]を攻めたが、城代・金上氏によって撃退されて滅亡した。新宮氏滅亡後、会津は豊穣になったとの記載が『[[心清水八幡神社#塔寺八幡宮長帳|塔寺八幡宮長帳]]』にあり、このことから新宮氏と蘆名氏との戦いで[[会津盆地]]が荒廃していたことが窺える。
 
== 新宮氏 (紀伊国) ==
 
{{DEFAULTSORT:しんくうし}}
[[Category:蘆名佐原氏|*しんくうし]]
[[Category:福島県の歴史]]
[[Category:喜多方市]]
匿名利用者