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'''依田 政次'''(よだ まさつぐ 1703年(元禄16) - 1783年(天明3))は、江戸時代の幕臣。書院番[[依田政有]]の嫡男。
== 経歴 ==
1716年、14歳の時[[徳川吉宗]]に拝謁、1725年に[[小姓組]]に入り、[[小納戸]]、[[徒士]]頭と昇進し、目付になる。そこから[[作事奉行]]を経て、能勢頼一の後任として[[北町奉行]]に就任し、1769年(明和6年)まで務めた後、さらに[[大目付]]へと栄進し、同時に加増されて千百石の知行を得た。晩年は留守居役となり、大奥の監督に尽力したが、大奥の女中達と反目し、1782年、老齢を理由に致仕。
 
北町奉行在任中には、[[山県大弐]]、[[藤井右門]]、[[竹内式部]]らが関ったとされる、所謂[[明和事件]]の解決に手腕を振るい、彼らに死罪、獄門、遠島などの処分を下した。他にも、[[札差]]と[[旗本]]の間で対立が生じてエスカレートした際、その仲介を務め、両者に釘を刺している。
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[[Category:江戸幕府幕臣]]
[[Category:江戸幕府大目付]]
[[Category:1703年生]]
[[Category:1783年没]]