「ハンス・フォン・ザルムート」の版間の差分

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当時[[ドイツ帝国]]領だった[[メス (フランス)|メッツ]]に生まれる。1907年9月に陸軍に入営し、第3近衛擲弾兵連隊に配属される。[[第一次世界大戦]]では[[西部戦線]]、ついで[[東部戦線]]に従軍し、[[鉄十字]]章を受章。終戦時は大尉だった。[[ヴァイマル共和国軍]]に採用され、1928年に少佐に昇進し第1歩兵師団参謀。1934年5月に大佐に昇進し、1937年8月に少将に昇進した。
 
1939年8月に中将に昇進。直後に勃発した[[第二次世界大戦]]では、[[北方軍集団]]参謀長として[[ポーランド侵攻]]に従軍。翌年の[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|西方作戦]]では[[B軍集団]]参謀長を務める。この作戦で[[騎士鉄十字章]]を受章。1940年8月に歩兵大将に昇進し、1941年5月に第XXX軍団司令官に任命された。[[独ソ戦]]の最中の1942年4月に[[第17軍 (ドイツ軍)|第17軍]]司令官に転じ、ついで[[第2軍 (ドイツ軍)|第2軍]]、[[第4軍 (ドイツ軍)|第4軍]]司令官を務め、1943年6月に再び第17軍司令官に就任した。1943年1月に上級大将に昇進。同年8月に西部戦線の[[第15軍 (ドイツ軍)|第15軍]]司令官に転じた。1944年6月に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]が[[ノルマンディ上陸作戦|ノルマンディに上陸]]し、8月に戦線を突破されると、[[アドルフ・ヒトラー]]はザルムートを更迭した。以後司令官職に就くことは無かった。
 
敗戦後の1945年7月に[[アメリカ軍]]に逮捕され、[[国防軍最高司令部裁判]]で戦時中の[[戦争犯罪]]の容疑で起訴された。罪状はソ連での[[パルチザン]]掃討命令であり、1948年10月に懲役20年の判決を受けた。しかし1953年にはランツベルク刑務所を出所した。[[ハイデルベルク]]で死去。