「ユストゥス・リービッヒ大学ギーセン」の版間の差分

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[[ファイル:2004-JLU Gießen Sicherlich.jpg|249px|right|thumb|ギーセン大学本部]]
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'''ユストゥス・リービッヒ大学ギーセン'''(ユストゥス・リービッヒだいがくギーセン、{{lang|de|Justus-Liebig-Universität Gießen}})は、[[ドイツ]]・[[ヘッセン州]][[ギーセン]]にある大学。
[[ファイル:2004-JLU Gießen Sicherlich.jpg|249px|right|thumb|ギーセン大学本部]]
 
'''ギーセン大学'''(ギーセンだいがく)は、[[1607年]]に当時の[[ヘッセン=ダルムシュタット]]領[[ギーセン]]に設立された大学である。隣接する[[ヘッセン=カッセル]]領の[[マールブルク]]にある[[マールブルク大学]]が[[カルバン派]]であったのに対抗して、[[ルター派]]の大学として設立された。現在の学生数は学生数約22,000人、職員数 8,500人の大学である。ギーセンはドイツでは学生の比率の最も多い街である。
 
== 歴史 ==
[[Imageファイル:Universitaet giessen siegel 1607.png‎|thumb|Siegelルートヴィヒ5世]]
かつては大学を設立したヘッセン=ダルムシュタット[[方伯]][[ルートヴィヒ5世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ5世]]にちなんで "Ludoviciana" と呼ばれており、19世紀の半ばに全盛期をむかえたが、ヘッセン=ダルムシュタット領が小さな所領であったために、小規模で財政の乏しい大学であったことから、有能な教授が他の大学で席を得るための「踏み台 (stepping-stone university) の位置に甘んじた。
 
1929年に[[ヘッセン州]]の統合に伴い、マールブルク大学とともに国立大学となる。[[第二次世界大戦]]後に「農芸化学の父」とも呼ばれた19世紀の化学者[[ユストゥス・フォン・リービッヒ]]にちなんで、現在の公式名称 "Justus-Liebig-Universität Gießen" (ユストゥス=リービッヒ大学ギーセン校)に改称された。
 
== 著名な教授・出身者 ==
著名な教授としては、リービッヒの他に[[アドルフ・フォン・ハルナック]]、[[ルドルフ・フォン・イェーリング]]、[[エティエンヌ・ラスパイレス]]、[[ヴィルヘルム・レントゲン]]、[[クルト・コフカ]]、[[フリードリヒ・ゴットリープ・ヴェルカー]]、[[エハルト・シュラーダー]]などが在任した。
 
また、主な出身者には、[[ゲオルク・ビュヒナー]]、ヨハン・カスパー・ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテの父親)、[[ゲオルク・ゴットフリート・ゲルヴィヌス]]、[[ヨハン・ヤコブ・ディレニウス]]がいる。
 
== 関連項目 ==
* [[ドイツの大学一覧]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.uni-giessen.de/cms/ ギーセン大学公式サイト]
 
[[Category{{DEFAULTSORT:ドイツの大学|きゆすとうすりせんひつひたいかく]]きいせん}}
[[Category:ドイツの大学]]
 
[[ar:جامعة يوستوس ليبيش]]