「プロヒューモ事件」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ajtnk (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
2行目:
 
==事件の概要==
===売春行為===
1962年12月に発生した、高級[[売春婦]]で[[モデル]]でもあった[[クリスティーン・キーラー]]と関係のある2人の男性の銃撃事件を調査した[[マスコミ]]が、「キーラーはプロヒューモ陸相と、イギリス駐在ソ連[[大使館]]付[[海軍]][[武官]]の[[エフゲニー・イワノフ]][[大佐]]とも親密な関係がある」という情報を入手。しかし、「[[政治家]]の[[プライバシー]]を尊重する」というイギリスの伝統のため、当初事件は大きく扱われなかった。
1961年7月にプロヒューモは、「クリーヴデン(ビル・アスター卿所有のバッキンガムシャーにある大邸宅)」で行われた「プール・パーティー」で、高級[[売春婦]]で[[モデル]]の[[クリスティーン・キーラー]]を知人に紹介され、その後プロヒューモはキーラーと金銭を介した肉体関係を持つことになる。
 
間もなくイギリスの上流階級の間においてプロヒューモとキーラーの関係に関する噂が広がり始め、この噂を知った内閣官房長官のノーマン・ブルック卿は、「キーラーがイギリス駐在ソ連[[大使館]]付[[海軍]][[武官]]の[[エフゲニー・イワノフ]][[大佐]]とも関係している」という[[MI5]]長官のロジャー・ホリス卿のアドバイスをプロヒューモに話した。プロヒューモはこのアドバイスを受けて1961年8月9日にキーラーに「もはや会うことができない」と手紙で伝え、2人の関係は数週間で終わることとなった。
 
===真相発覚===
その後、1962年12月に発生した、高級[[売春婦]]で[[モデル]]でもあった[[クリスティーン・キーラー]]と関係のある2人の男性の銃撃事件を調査した[[マスコミ]]が、「キーラーはプロヒューモ陸相と、イギリス駐在ソ連[[大使館]][[海軍]][[武官]][[エフゲニー・イワノフ]][[大佐]]とも親密な関係がある」という情報を入手。しかし、「[[政治家]]の[[プライバシー]]を尊重する」というイギリスの伝統のため、当初事件は大きく扱われなかった。
 
しかし[[1963年]][[3月21日]]に、イギリス[[庶民院|下院]]で[[労働党 (イギリス)|労働党]]議員ジョージ・ウィッグが「ある傷害事件の証人として出廷を命じられたキーラーと、マクミラン政権の閣僚の1人が関係があり、国家の安全のために事件を追究すべし」とし、噂の真相究明を要求した。疑いをもたれたプロヒューモは、「その女性は知っているが、不品行な関係はない」と下院で身の潔白を主張した。
 
その後、キーラーがイワノフ大佐とも関係があったことがマスコミにより明らかになり、国家の軍事機密漏洩事件にまで発展。イギリスのマスコミもこぞってこの事件の詳細を報道、国内の大きな関心事となった上、[[アメリカ]]や[[フランス]]などのイギリスの同盟国でも大きく報じられた。
 
===辞任===
このためプロヒューモは、[[ハロルド・マクミラン]][[イギリスの首相|首相]]宛の手紙の中で、「議会での発言に嘘が含まれていた」と主張し、キーラーとの「親密な関係」については認めたが、「軍事機密の情報漏洩についてはなかった」と告白、謝罪して6月5日に辞任した。