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'''嘉納 行光'''(かのう ゆきみつ、[[1932年]] - )は[[講道館]]館長[[全日本柔道連盟]]会長である。[[講道館柔道]]創始者・[[嘉納治五郎]]の孫で、[[講道館]]館長と[[全日本柔道連盟]]会長を務めた
 
== 経歴・人物 ==
[[1932年]]、[[嘉納履正]](講道館第3代館長)、百合子の長男として[[東京]]に生まれる。全く柔道経験のなかった父と異なり幼少時に柔道を始め、初段に至った。しかしその後、[[第二次世界大戦]]戦後わり[[連合国軍占領下の日本|占領期]]で、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]により柔道が禁止されたためその後修業は断念した。
 
[[1945年]]に[[師範学校|東京高等師範学校]]附属小学校(現・[[筑波大学附属小学校]])、[[1951年]]に[[東京教育大学]]附属中学校・高等学校(現・[[筑波大学附属中学校・高等学校]])を卒業し[[学習院大学]]政経学部経済学科卒業。[[1980年]]、父の後を受けて講道館第4代館長に就任。
 
[[2008年]]3月、任期7年の講道館館長職に再選されたが[[2009年]][[2月19日]]、同年3月末をもって全日本柔道連盟会長と講道館館長から退く意向を関係者に伝えた。76歳と高齢であることに加え、家族の介護問題などを考えた末の結論と報じられた。[[4月1日]]付けで館長を退任し、名誉館長となった<ref>後任は[[上村春樹]]で全日本柔道連盟会長にも就いた。</ref>。なお2人の娘がいるが、いずれも柔道界とは縁がい。
 
== 著書 ==
『柔道大事典』(監修:共著者[[川村禎三]]・[[中村良三(柔道)|中村良三]]・[[醍醐敏郎]]・[[竹内善徳]]・[[佐藤宣践]]) [[1999年]]11月 [[アテネ書房]] 、[[1999年]]11月 ISBN 978-4871522052
 
== 脚注 ==