「医心方」の版間の差分

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全30巻から構成されており、医師の倫理・医学総論・各種疾患に対する療法・保健衛生・養生法・医療技術・医学思想・房中術などから構成される。本文はすべて[[漢文]]で書かれており、唐代に存在した膨大な医学書を引用してあり、現在では地上から失われた多くの[[佚書]]を、この医心方から復元することができることから、[[文献学]]上非常に重要な書物とされる。[[漢方医学]]のみならず、平安・鎌倉時代の送りカナ・ヲコト点がついているため、[[国語学]]史・[[書道史]]上からも重要視されている。
 
東アジア(特に[[漢字文化圏]])における所謂「古典」というものの扱いは、新しい書物を為す場合の引用源として使用される。つまり、新しい書物は、古い書群から本文を抜き出してきて、編み直したものであるわけである。
[[槙佐知子]]が1993年より、『全訳精解 医心方』([[筑摩書房]]、全30巻予定)を刊行中である。(2009年に巻十が出され28巻分が刊行、なお巻二と巻二十五は2分冊)、また槙佐知子は多くの解説書を書いている。
 
東アジアにおける所謂「古典」というものの扱いは、新しい書物を為す場合の引用源として使用される。つまり、新しい書物は、古い書群から本文を抜き出してきて、編み直したものであるわけである。
 
鍼灸医学の書は、明清に至るまで、その殆どが内経などの編み直しと言ってもよい。つまり、由来のわからない文を為すことを忌むのが、東アジアにおける古典の扱いであった。
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医心方は、撰者[[丹波康頼]]により[[984年]]([[永観]]2年)朝廷に献上された。これは宮中に納められていたが、[[1554年]]に至り[[正親町天皇]]により[[典薬頭]]半井(なからい)家に下賜された。また丹波家においても秘蔵されていたとされるが、これは少なくとも丹波家の末裔である多紀家(半井家と並ぶ江戸幕府の最高医官)においては、幕末までに多くが失われていたとされ、[[多紀元堅]]が復元し刷らせている。幕末に、江戸幕府が多紀に校勘させた「医心方」の元本には、半井家に伝わっていたものが使用された。この半井本は、1982年同家より文化庁に買い上げがあり、1984年国宝となっている。
 
[[槙佐知子]]が1993年より、『全訳精解 医心方』([[筑摩書房]]、全30巻予定)を1993年から刊行中である。(2009年11月に巻十が出され28巻分が刊行、なお巻二と巻二十五は2分冊)、また槙佐知子は筑摩で『食べものは医薬 「医心方」にみる四千年の知恵』をはじめ、多くの解説書を書い数社で刊行している。
 
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