「航空事故」の版間の差分

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他にも該当する事件は多々あるのに、犠牲者が多いからといってKAL007便撃墜と9.11だけを冒頭に掲げることもないでしょう。中立性の観点から言っても。
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*部品の脱落
 
航空機は、他の交通機関と違い、ひとたび墜落などの事故を起こすと数百人規模の犠牲者が出してしまう。このために、事故が起きるたびにその原因究明と対策に力が注がれている。また、アメリカ同時多発テロ事件のように高層ビルに激突して崩壊する事件が発生すると最悪の場合は数千規模の犠牲者をだしてしまう。なお大韓航空軍用機や軍用艦船による民間機撃墜事件・同時多発テロや、人為的な航空機爆破、[[ハイジャッカー]]による地上施設への体当たりなど事故ではなく航空機の[[事件]]および[[テロ]]であるが、参考のために記載した。
 
==民間航空事故の一覧(一部)==
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*[[1954年]]1月10日:[[英国海外航空]](BOAC)781便 ([[デハビランド]][[DH106 コメット]]1が、[[イタリア]]のエルバ島上空で、機体の与圧部分の構造欠陥が理由で空中分解し墜落。
*1954年4月8日:英国海外航空(南アフリカ航空201便として運行中) ([[デハビランド]][[DH106 コメット]]1が、[[ローマ]]のチァンピーノ空港を離陸後、ティレニア海上空で機体の構造欠陥が理由で空中分解し墜落。21人死亡。同一機による半年で2度目の事故のため、これ以降全てのDH106コメット1が運行停止となり、事故原因の徹底的な調査がイギリス政府の指導の下行われた。
*1954年7月22日:[[キャセイパシフィック航空]](ダグラスDC-4)、公海上で[[中華人民共和国]][[空軍]]のLa-9型戦闘機に撃墜される。10人死亡。(厳密に言うと'''事件'''であり、航空事故ではない)
*[[1955年]]7月27日:エル・アル・[[イスラエル]]航空([[ロッキード・コンステレーション]]L-1049)、航法ミスで[[ブルガリア]]を領空侵犯し、同国空軍機の攻撃を受け空中分解し墜落。58人死亡。(厳密に言うと'''事件'''であり、航空事故ではない)
*[[1956年]]6月30日:[[トランス・ワールド航空]]2便(ロッキード・コンステレーション)と[[ユナイテッド航空]]718便(ダグラスDC-7C)、[[アリゾナ州]]上空で空中衝突し、両機とも墜落。
*[[1957年]][[9月30日]]:[[日本航空]](ダグラス[[DC-4]])が[[大阪]]の[[伊丹空港]]を離陸直後にエンジンが故障し失速。機体が電線に引っかかり、そのまま空港南東約1キロの田んぼに不時着した。機体は垂直尾翼だけを残し全焼した。
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*1972年11月28日:日本航空 446便(ダグラス[[DC-8]])、[[モスクワ]]・シェレメチェボ空港を離陸直後にスポイラーを誤作動させ失速し墜落。([[日航機墜落事故#一覧|シェレメチェボ墜落事故]])
*1972年12月29日:イースタン航空 401便([[ロッキードL-1011 トライスター]])、[[マイアミ]]国際空港に着陸直前に墜落。
*[[1973年]]2月21日:リビアン・アラブ航空 114便 (ボーイング727)、航路を逸脱し[[イスラエル]]領空を侵犯。[[シナイ半島]]上空でイスラエル空軍機の攻撃を受け墜落。(厳密に言うと'''事件'''であり、航空事故ではない)
[[Image:Tu-144-sinsheim.jpg|right|240px|thumb|アエロフロートのTu-144]]
*[[1973年]]6月4日:[[アエロフロート]]・ロシア航空([[ツポレフ]]Tu-144)、[[フランス]]のパリ航空ショーでデモフライト中に失速しパリ郊外のル・ブルジェ空港近くに墜落。地元住人を含む7人が死亡。
*[[1974年]]3月3日:トルコ航空 981便([[マクダネル・ダグラス]][[DC-10]]-10)、パリのオルリー空港を離陸後、貨物室ドアの設計上のミスにより貨物室ドアが破損し墜落。346名死亡。
*[[1975年]]12月16日:日本航空 422便([[ボーイング747]])、[[アンカレジ]]国際空港の誘導路を滑走中に横滑りをおこし、誘導路側方に滑落して中破した。3人軽症。
*[[1976年]]10月6日:キューバ航空455便(ダグラスDC-8-43)、離陸直後に機内で爆発、パイロットの意識喪失により墜落。乗客乗員73人全員死亡。(反[[フィデル・カストロ]]主義者による爆弾'''テロ'''。厳密に言うと航空事故ではない
*[[1977年]]1月13日:日本航空1054便(DC-8-62AF貨物機)、[[アンカレッジ]]国際空港を離陸直後に墜落。5人死亡。後に機長が飲酒していたこと明らかになり問題となった。([[日航機墜落事故#一覧|アンカレッジ墜落事故]])
*1977年3月27日:[[KLMオランダ航空]] 4805便(ボーイング747)と[[パンアメリカン航空]] 1736便(ボーイング747)がスペイン領カナリア諸島の[[テネリフェ空港]]で離陸滑走中に衝突。583名死亡。(航空史上最大の航空事故)
*1977年9月27日:日本航空 715便(DC-8)、[[クアラルンプール]]空港に着陸進入中墜落。([[日航機墜落事故#一覧|クアラルンプール墜落事故]])
*[[1978年]]4月21日:[[大韓航空]]902便([[ボーイング707]])、[[ソビエト連邦|ソ連]]の領空を侵犯し、[[ムルマンスク]]上空でソ連の戦闘機[[スホーイ]]Su-15に撃墜され凍結湖に不時着。2人死亡。(厳密に言うと'''事件'''であり、航空事故ではない)
*1979年1月30日:[[ヴァリグ・ブラジル航空]]、ボーイング707F貨物機が[[成田空港]]を離陸後、[[太平洋]]上で行方不明になる。5人の乗員が死亡。
*[[1979年]]5月25日:[[アメリカン航空]]191便(マクダネル・ダグラスDC-10-10)、[[シカゴ]]・オヘア国際空港を離陸直後に、エンジン取り付け部の設計ミスにより第1エンジンが脱落し墜落した。273名死亡。
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[[Image:N4734-727-PanAm-LHR-May90.jpg|thumb|240px|right| パンアメリカン航空のボーイング727]]
*1982年7月9日:[[パンアメリカン航空]]759便(ボーイング727)、[[ニューオーリンズ]]国際空港を離陸直後に墜落。153人死亡。
*[[1983年]]9月1日:大韓航空007便([[ボーイング747]])、[[アンカレジ]]を離陸後航路を逸脱し[[ソビエト連邦|ソ連]]領空を侵犯。[[樺太]]上空でソ連空軍の戦闘機スホーイSu-15に撃墜される([[大韓航空機撃墜事件]]。厳密に言うと航空事故ではない)。269人死亡。
*[[1985年]]8月12日:日本航空(JAL)123便([[ボーイング747]])、しりもち事故の際の修理ミスにより飛行中に機体が破損、[[群馬県]][[多野郡]]上野村の山中に墜落。520人死亡([[日本航空123便墜落事故]])。
*[[1986年]]1月31日:[[アエロメヒコ]]498便(マクダネル・ダグラス[[DC-9]])、[[ロサンゼルス]]国際空港へ着陸進入中に空路へ侵入してきた自家用機(パイパーPA-28)と衝突。82人死亡。
*[[1988年]]7月3日:イラン航空([[エアバスA300]])、[[ペルシア湾]]上空で[[米海軍]]の[[タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦|ミサイル巡洋艦]][[ヴィンセンス (ミサイル巡洋艦)|ヴィンセンス]](USS Vincennes, CG-49)から誤射され墜落。(厳密に言うと'''事件'''であり、航空事故ではない)
*1988年12月21日:パンアメリカン航空103便(ボーイング747)、イギリス・[[スコットランド]]上空で[[リビア]]の[[テロリスト]]によって仕掛けられた爆弾が爆発し墜落。(厳密に言うと[['''テロ]]'''であり、航空事故ではない)
*[[1989年]]7月19日:ユナイテッド航空232便(DC-10)、飛行中第2エンジン爆発により油圧系統を喪失。偶然乗り合わせていたDC-10教官の助けを得、エンジン出力操作のみでアイオワ州、スーゲートウェイ空港に緊急着陸。この方法は乗り合わせていた教官が日航123便事故を受け訓練していた。
*1989年7月27日:大韓航空803便(マクダネル・ダグラスDC-10-30)、リビア・[[トリポリ]]空港への着陸進入中に操縦ミスが原因で空港手前の住宅街に墜落。80名死亡。
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*[[2000年]]7月25日:[[エールフランス]]航空4590便([[コンコルド]])、パリの[[シャルル・ド・ゴール]]国際空港を離陸時に他の飛行機が落とした部品を撥ね燃料タンクを破損、漏れた燃料が引火し墜落。104人死亡。
* [[2001年]]8月23日:[[エア・トランサット]]236便トロント発リスボン行き ([[エアバスA330|A330型機]]) は大西洋上で燃料切れにより2基のエンジンがストップ、滑空状態でアゾレス諸島の空港に緊急着陸する (緊急着陸成功)。原因は第2エンジン交換時に純正以外の燃料パイプブランケットを使用したため、燃料パイプが外れ燃料漏れを起こしてしまった。
* [[2001年]]9月11日:[[アメリカ同時多発テロ事件]]発生。[[ニューヨーク世界貿易センタービル]]、ワシントンの国防総省ビルなどにハイジャック機4機が次々と激突、3,000人以上死亡、テロ事件史上最悪の惨事となる。特に最初に世界貿易センタービル北棟に激突した、ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便は死者約1,700人とテロ事件として最大の犠牲者をだす。ユナイテッド航空175便では約800人の犠牲者をだした。(厳密に言うと航空事故ではない)
: なお、航空機別の乗員・乗客は次のとおり
<TABLE align="center" width="60%"><TR><TD>航空機</TD><TD>乗員・乗客計</TD></TR>