「ボブ・ループ」の版間の差分

2度目の来日は[[1974年]]7月の[[全日本プロレス]]「サマー・アクション・シリーズ第1弾」。開幕戦のタッグマッチでは、[[プロレス技#打ち付け技|ショルダーバスター]]で[[ジャイアント馬場]]からフォールを奪っている。このシリーズには、同じくオリンピック出身のシューターである[[ダニー・ホッジ]]や、ループ同様にNCAAのチャンピオンだった若手時代の[[ボブ・バックランド]]も参戦していた。
 
[[1979年]]1月には、ウェイトを絞り込んで[[新日本プロレス]]の「新春黄金シリーズ」に外国人エースとして来日。[[1月12日]]に[[川崎市|川崎]]で[[アントニオ猪木]]の[[NWF]]ヘビー級王座に挑戦し、シリーズ最終戦の[[2月2日]]には[[クルト・フォン・ヘス]]とのコンビで[[坂口征二]]&[[ストロング小林]]の[[北米タッグ王座]]にも挑んでいる。NWF戦では猪木をグラウンド・レスリングの攻防で子供扱いし、シューターとしての実力をまざまざと見せつけた(結果は[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]の[[ボリス・マレンコ|グレート・マレンコ]]の介入で反則負け)。
 
来日回数は計3回と少なく、日本では大きな活躍の機会に恵まれなかったものの、最後の来日となった新日本の猪木戦での圧倒的な強さは伝説化されている。
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