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'''オットー・パウル・ヘルマン・ディールス'''('''Otto Paul Hermann Diels'''、[[1876年]][[1月23日]] - [[1954年]][[3月7日]])は[[ドイツ]]人[[化学者]]である。[[ベルリン大学]]の[[文献学]]の教授の息子であり、ベルリン大学の[[エミール・フィッシャー]]のグループで[[化学]]の[[博士]]号を得た。
 
ディールスは[[1916年]]まではベルリン大学で、1916年から[[1945年]]までは[[キール大学]]で教鞭をとった。彼の2人の息子は[[第二次世界大戦]]によって死亡している。
 
[[1950年]]に彼の生徒である[[クルト・アルダー]]とともに[[ノーベル化学賞]]を「[[ジエン]]反応の発見とその応用」によって受賞している。これは[[ディールス・アルダー反応]]として知られている。
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[[Category:ドイツの化学者]] 
[[Category:ノーベル化学賞受賞]]
[[Category:1876年生]]
[[Category:1954年没]]