「陳 (春秋)」の版間の差分

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陳は周りの強勢列国たちに圧迫され、いつも弱小国の立場であった。大国の[[楚 (春秋)|楚]]に隣接していたため、常にその意向に縛られ、半属国となっていた。
 
陳の[[厲公 (陳)|厲公]]の子、[[陳完|公子完]]は[[紀元前672年]]に[[斉 (春秋)|斉]]に亡命し、田氏を打ち立てた。田氏は斉国内で大きな勢力を持つにいたり、やがて室を簒奪して君主となってしまった。これ以降の斉をそれ以前と区別するため[[田斉]]と呼ぶこともある。
 
陳は結局、紀元前479年に楚の[[恵王 (楚)|恵王]]によって滅ぼされた。