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: これは私一人が感じていることではなく、johncapistranoさんも個人攻撃だと指摘されていますし、[[テンポイント]]に言及したことはにゃんこ10さんも批判されています。私はjohncapistranoさんと異なり票の無効化には反対していますが、johncapistranoさんの2009年11月13日 (金) 16:01 (UTC) のコメントは、かなりの部分は私にも首肯できるものです。私は廉さんに対してご自分が執筆された記事への批判に謙虚に耳を傾けては、と申しましたが、Stella marisさんも同じようにご自身に寄せられた批判に謙虚に耳を傾けることが求められているのではないかと思います。
: 最後に、私にこうした質問をするのもいいですが、その前に[[Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030#Stella marisさんによる、2009年11月13日 (金) 15:14 (UTC)のコメントについて]]での廉さんの問いかけにお答えになってはどうか、ということを老婆心ながら付け加えておきます。ご自身の信念や良心に照らし合わせて何ら恥じるところがないのであれば謝罪しろとは申しませんが、何らかの釈明はされておいた方がいいと思います。--[[利用者:Sergei semenovich|sergei]] 2009年11月19日 (木) 09:25 (UTC)
 
::こんにちは。ご回答ありがとうございます。仰られることを拝読させて頂きまして、自己の至りなさを再度痛感致しました。ただ、わたしの表現の拙さは仰られるとおりに受け取らせて頂きますが、少し誤解があるようにも思われます。以下に拙い意見を記させて頂きます。これに対する批判等がありましたら、是非ともお願い致します。
::'''1)''' まず、この件についてですが、「項目主題の特筆性」とは関係がないというのは、その通りであると思います。しかし、わたしは文中で記していますが、これは「事件の記事」とすべきであったと述べていると思います。
:::人物記事は執筆するのがたいへん難しい面があります。何故難しいかというと、非常に特筆性のある人物であっても、タレント等を除くと、その人生について、詳細に書かれた資料がほとんどないというのが実情だからです。しかし、この記事においては、わたし個人の感想ですので批判は甘受しますが、「物語」を構成しているようにしか思えない部分があります。わたしは物語は、百科事典に記載する内容だとは考えません。事実をたんたんと記すことが重要で、潤色が入るのは避けるべきだとの意見です。
:::すでに、ノートにて記しましたので、「平衡」の話の説明はそこで見て頂くとします。なお、確かにこれは、廉氏の人格批判のように響きますし、そういう風に読めるのはわたしの不明です。しかし、わたしは、廉氏の人格批判を持って、反対票を入れたのではありませんし、記事人物に特筆性がないという理由が、反対票の理由でもありません。
:::(率直に記しますと、この記事を見て、最初にわたしが感じたのは、何故、近親者が著者の書籍が二冊も商業出版されているのか、という疑問です。この疑問に対するわたしなりの考えは、事件性と、それに結びついた商業主義です。そこから更に考えたことは、遺族の方達に失礼なので記しませんが、結論は、人物記事にするのは間違っているです)。
::'''2)''' 第三の「廉氏の執筆スタイル」という話です。この場合、「廉氏がどういう人か」ということを問題にしているのではなく、「記事の執筆スタイル」の話です。
:::なお、わたしは'''廉氏の記事は、二つしか読んでいません。一つは、当該西田記事と、いま一つは、昨年の加筆コンクール時点での「[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88&oldid=22610617 テンポイント]」です'''(現在のテンポイントの記事は、冒頭部は見ましたが、なかは読んでいません)。わたしが述べたことを、ここに正確に写しますと、次の通りです:
::::この傾向は実は、秀逸記事「テンポイント」の冒頭がまさに同じスタイルである。
:::「テンポイントの記事が同じスタイル」であるとは述べていません。また、冒頭部以外については、一切言及していません。わたしの迂闊さから「テンポイント」の記事批判に映ってしまったのかとも思います。決してそういうことはありません。
:::わたしは、当該記事が物語あるいは劇的構成になっており、それは百科辞典的ではない、と述べたかったのです。昨年の加筆コンクールにおいて、審査員の Tantal 氏は、「すぐに秀逸候補」となれる記事を選考するとして、「テンポイント」を推されたので、わたしは、その当時の「テンポイント」の記事を読んでみて、物語を作っているというか、劇的な構成が好きだなと感じました。それ以降、廉氏とは関わりもなく、現在の「テンポイント」の記事もまったく知りません。この部分をもう一度読み返してください。現在の「テンポイント」の記事批判を行っているのではありません(「秀逸記事」と書いてしまったのがミスリードの原因で、ここは迂闊だったとしか言えません)。
::'''3)''' 最後のご意見については、わたしの文章力や書き方の不明さから起こった誤解と考えます。わたしの文章のどこを読んでも、現在の「テンポイントの記事」についての批判はないと思います。当該記事が劇的構成であるということは、分かりにくいので、個人的に印象の深かった「テンポイント」冒頭を例として挙げただけです。わたしの文章をもう一度、ここに掲載します:
::::……これは冒頭の定義文であるが、競馬ファン向けの記事ではないのであり、「TTG時代」「一世を風靡」「流星の貴公子」等は、劇的表現にしか見えない。対象との距離が十分でなく、客観的な記述ができていないように思える。少なくとも百科辞典的な表現とは思えない
:::これは、「テンポイントの記事」を批判しているのだともし読めば、Sergei 氏の云われているような意味になるかも知れないとは思います。しかし、わたしとしては、テンポイントの冒頭の言葉・表現を分かりやすい例として取り上げたつもりで、中田氏の記事の文章スタイルが、このような劇的表現になっているという見解を述べているのです。
:::「対象との距離……」という文章は、「テンポイントの記事」に対する批判ではなく、これまでに書いてきたわたしの反対理由の総括として書いています。実際、この文章が「'''結び'''」に該当します。「結び」に来る文章は、それまでに書いていたことの総括です(「少なくとも百科辞典的な表現とは思えない」というのは、結局、当該記事(中田氏の記事)について述べていることで、また廉氏の文章スタイルのことですが、廉氏はまた違うスタイルで書いて頂きたいという趣旨で、これを人格攻撃とは言えないと思います)。
::長文をお詫び致しますが、Sergei 氏は、誤解をされているように個人的に感じます。そういう誤解を招いたのはわたしの文章が拙劣であったということで、責任はわたしにあると思います。しかし、それは誤解なのだと記します。--[[利用者:Stella maris|Stella maris]] 2009年11月19日 (木) 14:48 (UTC)
:::('''追記''')「平衡感覚」の部分は、読み返してみて、わたし自身、どうもうまく文脈が繋がらず、かなり複雑な構成になっているように思います。これは、廉氏が何度もわたに対し返答を要求し、わたしの利用者会話ページに何度もやって来て、ストーキング行為をしたことに対し、さすがに、わたしも感情的になった、ためではないかとも思います。この点を除けば、ほぼすべては誤解によるものだと考えます。--[[利用者:Stella maris|Stella maris]] 2009年11月19日 (木) 14:48 (UTC)
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