「ドリール度」の版間の差分

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'''ドリール度''' ('''°D''')はフランスの[[天文学者]][[ジョゼフ=ニコラ・ドリル]](1688 - 1768)によって発明された温度目盛である。それは[[レオミュール]]のものと似ている。ドリルは''Mémoires pour servir à l'histoire et aux progrès de l'Astronomie, de la Géographie et de la Physique'' (1738)の著者である。
 
彼は[[ピョートル1世|ピョートル大帝]]によりロシアに招かれた。1732年に流体として[[水銀]]を使った温度計を作った。ドリルは、沸騰水の温度を固定ゼロ点とし、水銀の収縮する方向に(低い温度に向け)増える尺度を持つ目盛を選んだ。[[摂氏]]目盛も元は同様に、水の沸点をゼロ度とし凝固点を100度としていた。これは、彼の死後しばらく経って後の、セルシウスが使っていた温度計の多くを製造していたスウェーデンの実験器具製造者ダニエル・エークストレーム({{lang-sv-short|Daniel Ekström}})の主導による現代的な順序とは逆であった。
 
ドリール温度計は通常[[サンクトペテルブルク]]の冬にふさわしい2400の目盛りを持っていた。1738年にドイツ出身の医学・解剖学教授ヨージアス・ヴァイトブレヒト(ヨーシヤ・ヴェイドブレフト, {{lang-de-short|Josias Weitbrecht}}, {{lang-ru-short|Иосия Вейтбрехт}}, 1702 - 47)はドリール温度計を水の沸点を0度、凝固点を150度とするよう再較性した。ドリール温度計はロシアで約100年の間だけ使われた。ドリール度Deと摂氏度Cの関係は以下の通り。