「ゲオルク・エルザー」の版間の差分

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1939年11月8日、ヒトラーは、[[ビアホール]]「[[ビュルガーブロイケラー]]」{{enlink|Bürgerbräukeller}}で[[ミュンヘン一揆]]16周年記念演説を行った。ヒトラーが退席した後、時限爆弾が爆発し、7人が死亡し、63人が負傷した。[[SD (ナチス)|SD]]の[[ラインハルト・ハイドリヒ]]や[[ヴァルター・シェレンベルク]]は、イギリスの諜報機関の仕業と睨み、翌日11月9日には[[オランダ]]の[[フェンロー]]で活動してた[[ペイン・ベスト]]{{enlink|Sigismund Payne Best|Payne Best}}とリチャード・スティーブンス(Richard Stevens)の二名を拉致した。
 
一方エルザーは11月8日夜にスイスへ不法越境しようとして逮捕されていた。エルザーは爆弾犯が自分であることを自白したが、単独犯であることを主張し、イギリスの陰謀を否定した。しかしヒトラーはイギリスの陰謀と確信しており、[[親衛隊全国指導者]][[ハインリヒ・ヒムラー]]に背後関係を調べるよう命じた。ヒムラーは自らがエルザーの取り調べに赴いた。居合わせた者の証言によるとヒムラーはエルザーに罵声を浴びせながら足蹴にし、さらに[[ゲシュタポ]]の一人にエルザーを鞭で打ちつけさせ、苦痛で悲鳴をあげるまで打ちすえた後、エルザーは再びヒムラーの前に引きずり出されて罵詈と足蹴りを受けたという。それでもエルザーは単独犯であると主張した。ヒムラーはその後、[[フランツ・ヨーゼフ・フーバー]]に取り調べを任せたが、フーバーも自白させられず、「エルザーの単独犯」の結論を出した。ハイドリヒも「単独犯」と認めるしかなかった。捜査の失敗にヒムラーはヒトラーから譴責を受けたという。
 
1945年4月9日に[[ダッハウ強制収容所]]内で殺害された。
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