「米沢藩」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
74行目:
'''米沢新田藩'''(よねざわしんでんはん)は米沢藩の支藩。外様。柳間詰。[[享保]]4年([[1719年]])に5代藩主[[上杉吉憲|吉憲]]が弟の[[上杉勝周|勝周]]に領内の[[新田分知|新田分]]1万石を分与して成立した。藩主は2代目の勝承以降、男子がなく本藩の藩主から養子を迎えている。代々駿河守を称し、[[駿府城]]加番役を務めた。
 
特定の領地や城地を持たず、また支配機構や財政、家臣団は全て宗藩の米沢藩に依存した藩内分家であった。このために米沢城内二の丸に藩庁を置き居所としていた。須原茂兵衛版武鑑では[[江戸藩邸]]は麻布の飯倉片町に上屋敷があったとしているが、これは宗藩の中屋敷の一部を与えられたものである。後に上屋敷の所在表記は飯倉片町となる。
 
[[明治維新]]後、本藩の所領削減もあって存続が難しくなり、明治2年(1869年)に本藩に併合された。