「千坂高雅」の版間の差分

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== 生涯 ==
=== 幕末期 ===
父は米沢藩奉行職(国家老)を務めた[[千坂高明]]。[[通称]]は太郎左衛門、琢磨。[[千坂氏]]は[[上杉氏#犬懸上杉家|犬懸上杉氏]]庶流を称して代々[[上杉氏]]に仕え、[[江戸時代]]には米沢藩の上士階級である侍組分領家の一つで、筆頭家老を務める家柄であり、となった。高雅の先祖には[[上杉謙信]]の親衛隊の役割を果たし、[[上杉景勝]]政権下で上杉家の外交役として伏見留守居役・米沢藩初代江戸家老を務め、[[関ヶ原の戦い]]後には徳川家との和睦交渉折衝役成功に導い務めた[[千坂景親]](対馬)や[[元禄赤穂事件]]([[忠臣蔵]])の際に父[[吉良義央]]の援軍として出兵しようとした藩主[[上杉綱憲]]を押しとどめたという江戸家老[[千坂高房]](兵部)(ただし実際には事件の前に死去、詳細は高房の項目を参照)、[[上杉鷹山]]の藩政改革の折に[[七家騒動]]で処分された奉行[[千坂高敦]](対馬)らがいる。(養子等による家督相続も挟まれている為、直接の血縁では無い)
 
幼少時代は病弱で、学問も弟に劣るといわれたが、成長するに従いその才能を発揮し、19歳の時に藩校・[[興譲館]]の定詰勤学生に選ばれた。その後、藩主[[上杉斉憲]]の洛中警備に父の高明(伊豆)と共に従い、京周辺における時勢の急転に奮起した。やがて帰国した高雅は興譲館の助読となり、25歳で学頭となった。[[元治]]元年10月([[1864年]])に家督相続。
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