「宇文貴」の版間の差分

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宇文貴は[[音楽]]を好み、[[囲碁]]を愛好して、人士と広く交際した。[[566年]]、[[突厥]]への使者に立って[[阿史那皇后]]を迎えに行った。[[567年]]、帰還する途中、張掖で死去した。[[太傅]]の位を追贈され、[[諡]]は穆といった。
 
子に宇文善・[[宇文忻]]・[[宇文愷]]があった。宇文善が後を嗣ぎ、開府儀同三司・大将軍・柱国・洛州刺史を歴任して、大宗伯・上柱国に上った。また、宇文愷は隋に仕え、[[長安]]の設計で名を挙げている
 
== 伝記資料 ==