「川内将嗣」の版間の差分

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[[剣道]]一家に生まれ育ったこともあり、父親に勧められて小学校3年から中学までは剣道に打ち込んでいたが、[[佐賀龍谷中学校・高等学校|佐賀龍谷高校]]に入学後ボクシングを始める。当時は『[[ガチンコ!|ガチンコファイトクラブ]]』が放送されていた<ref>[[九州スポーツ]] 2008年7月20日7頁。</ref><ref>[http://www.ikuyuu.com/newsletter/112/p24.html 専修大学育友会]</ref>。3年次には[[ライト級]](57kg - 60kg)で三冠(全国高校選抜、[[全国高等学校総合体育大会|全国高校総体]]、[[国民体育大会|国体]]で優勝)を達成。
 
[[2004年]][[専修大学]]進学後、2年で全日本選手権[[ウェルター級]](64kg - 69kg)で優勝。3年、4年次には[[全日本アマチュアボクシング選手権大会|全日本選手権]][[スーパーライト級|ライトウェルター級]]で優勝。国体でも3連覇を果たした。2008年4月より[[自衛隊体育学校]]に所属している。
 
大学4年次の[[2007年]]11月、[[シカゴ]]で開催された[[世界ボクシング選手権大会]]に出場。[[10月23日]]、1回戦で[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]金メダリストの[[:en:Manus Boonjumnong|マヌス・ブンジュモン]]を14-9で下す番狂わせを演じ、その後も勝ち進み、日本人として1978年[[フライ級]]の[[石井幸喜]]以来29年ぶり2人目の銅メダルを獲得。それと同時に[[2008年]][[北京オリンピック]]出場権も得た。
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2007年度、2008年度ともにプロ・アマチュア[[年間表彰選手 (ボクシング)|年間表彰]]選手選考会でアマチュア部門の[[最優秀選手|最優秀選手賞]]に選出された。
 
[[2009年]][[9月1日]]、[[ミラノ]]で開催された世界選手権に出場。1回戦でリトアニア選手に5-8の判定ポイント負けを喫した。同年11月22日には第79回全日本選手権ライトウェルター級に出場し、ポイント勝利で5年連続優勝を収めるとともに3大会連続の[[最優秀選手|MVP]]を獲得した。
 
== 脚注 ==