「ハインリヒ・シュッツ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Julis (会話 | 投稿記録)
m 雑草とり
5行目:
== 生涯 ==
 
[[1599年]]、14歳のシュッツは、[[カッセル]]のモーリッツ侯に見出されて、カッセルの[[ギムナジウム]]に入った。卒業後、侯の奨学金を得て、[[1609年]]にイタリア([[ヴェネツィア]])に赴き、最初は[[ジョヴァンニ・ガブリエーリ]]の弟子となる。[[1613年]]に帰国後、カッセルの第2[[オルガニスト]]となるが、[[1615年]][[ドレスデン]]に招かれ、[[1617年]]に正式にドレスデンの[[宮廷礼拝堂]]付きの作曲家となった。最初の10年間は楽団を組織する仕事に従事できたが、1620年代後半から、[[三十年戦争]]の悪化とともに中断され、後の人生はバラバラになった楽団を再編成することに費やされた。スウェーデンで後進の指導に当たったり、3度もデンマークに逃れようと企てたが、結局はドレスデンに暮らし、晩年は不幸であったが作品は円熟し深刻の度を増した。
 
== 特徴 ==
 
シュッツの[[受難曲]]はドイツ風の[[聖書物語音楽]]の形式を基礎とし、これにイタリア風[[オラトリオ]]の形式を加味したものである。[[ネツィア楽派]][[複合唱]]様式、[[コンチェルト]]様式、[[通奏低音]]書法をドイツにもたらし、[[宗教戦争]]時代の苦悩を体験した人として、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]に至るドイツ音楽の基礎を築いた。彼の業績は19世紀後半になって認識されるようになる。
 
== 主作品 ==
16行目:
*オラトリオ 十字架上の7つの言葉 Die Sieben Worte Jesu Christi am Kreuz SWV 478(1645年)
*Symphoniae sacrae I SWV 257-276(1629年)、II SWV 341-367(1647年)、III SWV 398-418(1650年)
*宗教的合唱曲(29曲の[[モテット]])Geistliche Chormusik SWV369-397(1648年)
*[[マタイ受難曲]] Matthaus Passion SWV479(1666年)
*[[ルカ受難曲]] Lukas Passion SWV480(1653年頃)
*[[ヨハネ受難曲]] Johannes Passion SWV481(1665/66年)
*[[歌劇]] Daphne(1627年))
*ドイツ[[マニフィカト]] Deutsches Magnificat SWV494(1671年)
 
== 参考文献 ==