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家族
人物像 参考文献
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'''司 葉子'''(つかさ ようこ、[[昭和]]9年([[1934年]])[[8月20日]] - )は、日本の[[女優]]。[[日本大正村]]村長。[[東京福祉大学]]特任教授<ref>[http://www.tokyo-fukushi.ac.jp/infomation/20090714.html 東京福祉大学お知らせ]</ref>。本名:'''相澤 葉子'''(旧姓:庄司)。[[共立女子短期大学]]卒業。[[東宝芸能]]所属。夫は元[[自由民主党]][[衆議院議員]]の[[相澤英之]]。三男・[[相澤宏光]]の妻は歌手・タレントの[[相田翔子]]([[2008年]][[7月31日]]入籍)<ref>司は二人の入籍を[[新聞]]で知った。雑誌の対談の中で司は「実はそうなのよ、結婚したい人がいるとはなんとなく聞いていたけれど、びっくりしたわよ」、「こんなふうだと変だと思われるかもしれないけど、ウチは放任主義というか、決断は本人任せなんです。最初は主人が反対だったんですけど、自分の意思を貫きましたしね。自分の意思で決めるのだろうと思ってました。」と述べている([http://www.les2.net/1404.html 司葉子と相田翔子の姑問題が円満解決』])</ref>
 
== 経歴 ==
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[[1969年]]に当時[[大蔵省|大蔵]][[官僚]]だった相澤と結婚。[[1999年]]に日本大正村の村長に就任。[[2003年]]、[[紫綬褒章]]。[[2009年]]に相澤が学長を務める東京福祉大学の特任教授に就任。
 
== その他人物像 ==
司葉子について、『新・人国記④』137-138頁に「[[境港市]]を“小[[神戸]]”と呼ぶ表現がある。[[中海]]側へまわって[[神戸]]でいえば[[須磨区|須磨]]にあたるところに[[渡村|渡]]の集落。[[東宝]]のトップ女優司葉子の出身地。美人。細身の、ソソたるタイプ。地元では代表的女性とあって、名産二十世紀ナシの宣伝ポスターにいつも登場する。[[後醍醐天皇]]の時代に、祖先が“密使”を勤めたとの伝説を持つ家。六歳のとき[[生糸]][[問屋]]の父が亡くなって母の手で育った。境高校から[[東京]]の共立女子大に学んでいたとき、[[週刊誌]]の表紙になり、その縁で、[[大阪]]の民放に勤務中、[[東宝]]へスカウトされた。清純派で売出されて、“秋日和”など出演作品七十本。ツンとしたところがないので、スタジオではいまも“葉子チャン”と愛称されている。…」と紹介されている。
奥出雲の山林大地主田部家の当主[[田部長右衛門 (23代)]]は若い頃、司の父・繁二郎に良いことも悪いこと(遊ぶこと)もしょっちゅう連れ歩いてもらって教わったこともあり司の姉妹揃って大いに可愛がったという。また田部は司の結婚式に親代わりとして出席している([[田部長右衛門 (23代)|田部長右衛門(朋之)]]先生追悼録)。
 
奥出雲の山林大[[地主]]田部家の当主[[田部長右衛門 (23代)]]は若い頃司の父・繁二郎に良いことも悪いこと(遊ぶこと)もしょっちゅう連れ歩いてもらって教わったこともあり司の姉妹揃って大いに可愛がったという。また田部は司の結婚式に親代わりとして出席している([[田部長右衛門 (23代)|田部長右衛門(朋之)]]先生追悼録)。
 
== 出演 ==
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== 家族・親族 ==
; 実家(庄司家)
*父 繁二郎、母
*姉
:節子([[武田輝雄]]の妻)
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== 参考文献 ==
*[[朝日新聞社]] 『新・人国記④』[[昭和]]38年([[1963年]]) 137-138頁
*[[相澤英之]]・司葉子 『結婚してから八年め』 学習研究社