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|280mm<br/>司令塔:300mm(側盾)、200mm(天蓋)、350mm(覗き窓枠)、220mm(扉)
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'''シャルンホルスト''' ('''Scharnhorst, DKM Scharnhorst''') は第一次世界大戦後に[[ドイツ海軍]]が建造した[[巡洋戦艦]]。[[シャルンホルスト級巡洋戦艦]]の1番艦([[ネームシップ]])。艦名は[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]占領支配からドイツが独立戦争の大立者のを起こした際に活躍した[[プロイセン王国|プロイセン]]の将軍、[[ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト]]に由来する。ドイツ海軍は戦艦に分類し、[[イギリス海軍]]は巡洋戦艦に分類した。
 
== 艦歴 ==
[[1930年]][[6月30日]]にヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠にて起工後、一時建造中止。[[1935年]][[6月15日]]に建造再開、[[1936年]][[10月3日]]に進水、[[1939年]][[1月7日]]に竣工したが、公試時に艦首が波をかぶるという不具合が出たので、再びドック入りした本艦は、海面に対し垂直だった艦首形状を前方に突き出した形に改修する工事を実施した。しかし今度は錨鎖口の位置が悪く艦首波がそこから甲板に吹き上げたので、波をかぶるとう点では大、さたる改善されなかった。それでいて砲塔の防水などは工夫されなかったため、前部砲塔は浸水でしばしば故障していた。
 
9月4日、[[ブルンスビュッテル]]でイギリスの[[ビッカース ウェリントン|ウェリントン]]爆撃機による爆撃を受けたが被害はなかった。11月21日、シャルンホルストは同型艦の[[グナイゼナウ (巡洋戦艦)|グナイゼナウ]]、軽巡洋艦[[ケルン (軽巡洋艦・3代)|ケルン]]、[[ライプツィヒ (軽巡洋艦・3代)|ライプツィヒ]]などと共に[[ヴィルヘルムスハーフェン]]を出撃した。翌22日に巡洋艦などとは別れグナイゼナウと共に[[アイスランド]]南方へと向かった。その途中の23日にイギリスの補助巡洋艦[[ラワルピンディ (仮装巡洋艦)|ラワルピンディ]]と遭遇した。2隻は[[フェロー諸島沖海戦|ラワルピンディを沈めた]]が、イギリスに発見されたことからアイスランド南方への進出は中止して北上した。26日に2隻は嵐にまぎれイギリスの包囲を抜けて27日にヴィルヘルムスハーフェンに帰投した。
 
1940年2月18日から20日まで[[ノルトマルク作戦]]でシャルンホルストはグナイゼナウ、重巡洋艦[[アドミラル・ヒッパー (重巡洋艦)|アドミラル・ヒッパー]]、駆逐艦2隻と共にノルウェー沖へ出撃したが戦果はなかった。