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* [[広島東洋カープ]] (2009)
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'''スコット・マクレーン'''('''Scott Michael McClain''' , [[1972年]][[5月19日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]]出身の[[プロ野球選手]]([[内野手]])。愛称は「'''マック'''」「'''一場キラー'''」など。
 
== 来歴 ==
{{by|1990年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]22巡目で[[ボルチモア・オリオールズ]]に入団。[[ニューヨーク・メッツ]]を経て、{{by|1998年}}に[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]で[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]デビュー。しかし目立った活躍はできず、翌{{by|1999年}}オフに解雇。[[2000年]]は[[コロラド・ロッキーズ]]傘下3Aでプレーした。
 
{{by|2001年}}に[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に入団。同じ年に入団した[[アレックス・カブレラ]]とのコンビは「'''[[一場靖弘|・バ]]ズーカ'''」と称され、この年は39[[本塁打]]を放った。翌{{by|2002年}}は[[手首]]の故障でシーズンの大半を棒に振ってしまうも、巨人との[[2002年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では活躍し(11打数4安打)、主軸に座った。{{by|2003年}}は26本塁打を放つも、外角の[[変化球]]に弱いという弱点を覚えられたことで.225の低打率にあえぎ、[[ホセ・フェルナンデス]]と入れ替わる形で西武ライオンズを解雇された。
 
{{by|2004年}}は[[シカゴ・カブス]]とマイナー契約を結んでいたが、カブレラが故障し、長距離砲の補強が急務だった西武ライオンズに4月末に復帰した。しかし打率.181、本塁打4本と大きく期待を裏切ってこの年限りで再び解雇された。ただ、この年2軍では桁違いの実力を見せ、23本塁打で[[イースタン・リーグ]]の本塁打王に輝いている。なおこの年のマクレーンは[[背番号]]「'''00'''」を使用したが、この数字が使われたのは西武ライオンズ球団史上初だった。
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{{by|2007年}}から[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]とマイナー契約。翌{{by|2008年}}は3Aで打率.300、29本塁打、108打点を記録。そしてシーズン終盤にメジャーに昇格し、9月3日のロッキーズ戦でプロ19年目、36歳にしてメジャー初本塁打を放った。
 
{{by|2009年}}、ジャイアンツ3Aの[[フレズノ・グリズリーズ]]で、13試合打率.275、1本塁打、6打点、出塁率.423、長打率.425の成績を残し、<ref>http://www.thebaseballcube.com/players/M/scott-mcclain.shtml</ref>4月27日に[[広島東洋カープ]]と年俸2,000万円の1年契約で合意し、5月1日に入団会見を行った。<ref>http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw200905020045.html</ref>翌5月2日の対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦では5番レフトでスタメン出場し、2点差で迎えた6回裏に[[一場靖弘]]<ref>なお、この選手のフルネームは一場ではなく'''一場靖弘'''である。</ref>からレフトスタンドへ飛び込む移籍後初ホームランを放った<ref>http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cs200905020252.html</ref>。
 
== 人物 ==