「長勝寺 (弘前市)」の版間の差分

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別称 = |
札所等 = |
文化財 = 三門、御影堂、本堂・庫裏、津軽家霊屋、銅鐘(国重要文化財)<br />長勝寺溝(国史跡)<br />三尊仏・厨子、薬師如来三門本尊、津軽為信木像(県重宝)<br />黒門(市文化財)|
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[[画像:Hirosaki city choushouji zenrin.jpg|thumb|rihgt|245px|長勝寺に続く道は禅林街とも呼ばれ、三十三の寺院がある。]]
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==歴史==
この寺は、[[1528年]]([[享禄]]元年)[[大浦盛信]]が父[[大浦光信|光信]]の菩提を弔うため、菊仙梵寿を開山として種里(現在の[[西津軽郡]][[ヶ沢町]]種里町)に創建された寺である。寺号は光信の法号による。その後、賀田大浦(現在の弘前市賀田字大浦)に移され、[[大浦氏]]が堀越城に移るにあたり、現在地に移された。[[江戸時代]]にはこの地域における曹洞宗の僧録所であった。
 
==文化財==
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*石碑
*雪見灯籠など
1949年6月27日 当時の中学校生徒8人が弘前市内大町町会に所在した製氷会社の冷蔵庫内に閉じ込められくなられた事故の戒めとして、また被害者供養を行うため、翌年に犠牲者の一人の父親で製氷会社社長であった、加藤策朗が長勝寺敷地内建立。2005年12月に市道改良工事に伴い弘前市によって、解体除却が行われる。
 
==所在地==