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漢口は、もとは夏口鎮という商業都市であった。夏水という川が[[長江]]に合流する場所にあるため夏口という地名になったが、後に夏水が[[漢水]]という名に変わったため漢口と改名した。隣接する歴史の古い城郭都市である[[漢陽区|漢陽]]と[[武昌]]に比べると、漢口は[[明]]朝中頃以後に自然発生した都市であり歴史は比較的浅いが、明朝末期には漢陽と武昌をしのぐ大きな商業都市となり長江中流の物流・商業の中枢として栄えた。[[清]]代には漢口鎮は[[山西省#山西商人|山西商人]]や陝西商人や徽州商人([[新安商人]])ら各地の商人が集まる商都となり、[[江西省]]の[[景徳鎮]]・[[河南省]]の[[開封県|朱仙鎮]](現在の[[開封市]]付近)・[[広東省]]の[[仏山市|仏山鎮]]と並ぶ「四大名鎮」の一つと称された。
 
漢口は[[1858年]]に結ばれた[[天津条約 (1858年)|天津条約]]により開港し、[[イギリス]]・[[ドイツ]]・[[フランス]]・[[ロシア]]・[[日本]]の5カ国の[[租界]]が置かれた。これ以後、経済が高度に発展した漢口は「東方の[[シカゴ]]」とも呼ばれた。
 
[[長江]]と[[漢水]]を挟んで鼎立する[[漢陽区|漢陽]]・漢口・[[武昌]]の3市(鎮)は[[武漢三鎮]]と呼ばれていたが、互いに大河で隔てられており連絡が不便であったため合一することはなかった。[[中華民国の歴史|中華民国期]]の1927年1月に初めて武漢市となり、[[国民政府]]が[[広州市|広州]]から遷都し、4月には武漢特別市となった。8月に[[武漢国民政府]]が[[南京国民政府]]に合流すると、再び分割され漢口特別市となった。