「告朔」の版間の差分
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== 概要 ==
[[757年]]([[天平宝字]]元年)施行の『[[養老令]]』の衣服令によれば、告朔の際には[[朝服]]を着用することが定められていた。また、『[[令集解]]』([[868年]]([[貞観 (日本)|貞観]]10年)ころ成立)引用の「古記」によれば、[[内舎人]](うどねり)が[[朝庭]]に置かれた公文の案をもって[[内裏]]に参入し、[[大納言]]がそれを天皇に奏上するというかたちで進められていたことがわかる<ref name=kishi>岸(1986)p.9-24</ref>。
これは本来、百官の[[朝政]]における前月分の勤めぶりと上日(上番の日、勤務日)の日数などを[[天皇]]が視る性格をもっていたものであったが、しだいに儀式化していった。 == 脚注 ==
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