「プラット川」の版間の差分

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プラット川流域はグレートプレーンズ一帯における[[スペイン]]とフランスの両国が領有権を主張する曖昧な領域であった。[[黒人]]の探検家ジョセフ・ナランホ(Joseph Naranjo)は、プラット川に到達し、後にフランス領の拡大を止めるためにスペイン軍の探検隊をそこへ案内した。この探検はスペインによる中央平原の探検で最も奥までいったものとなった。[[1803年]]の[[ルイジアナ購入]]で、この地はアメリカ領となり、[[1820年]]にスティーブン・ロング([[:en:Stephen H. Long]])が探検を行い地図が作成された。
 
[[19世紀]]に入りアメリカ西部へ開拓の移民が始まると、プラット川沿いから西へ伸びる[[馬車]]による移動ルートの[[オレゴン・トレイル]]と[[モルモン・トレイル]]が築かれた。[[1860年代]]にはプラット川およびノースプラット川は、馬による郵便サービスである「ポニーエクスプレス([[:en:Pony Express]])のルートともなったが、後に最初の[[大陸横断鉄道]]である[[ユニオン・パシフィック鉄道]]が敷設され鉄道による輸送に移行していく。
 
[[20世紀]]にはリンカーンハイウェー([[:en:Lincoln Highway]])のルートとして使われ、現在の[[州間高速道路80号線]]となった。