「デニス・ウィルソン」の版間の差分

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デニスは当初音楽的経験をほとんど持っていなかったが、[[ドラムセット|ドラム]]の演奏を程なく習得した。しかしながら彼はセッション・ドラマーほどにブライアンの信頼は得られなかった。それにもかかわらず、デニスはバンドのなかで最も人気を得、ステージ上での[[セックス・シンボル]]となった。
 
ブライアンのバンドにおける活動が停滞するようになった後、デニスは1968年からバンド内の重要な作曲家となった。彼のデビュー作は『[[フレンズ (ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム)|フレンズ]]』B面に収録された「リトル・バード」であった。[[1970年]]にリリースされたアルバム『[[サンフラワー (アルバム)|サンフラワー]]』での活躍は著しく、4曲もの優れた楽曲を提供してアルバムの完成度向上に大いに貢献した。なかでも「フォーエヴァー」は名曲として名高く、彼の代表作となった。
 
1969年に[[シャロン・テート]]殺害事件が起こるが、当時デニスは[[チャールズ・マンソン]]の後見人であった。『[[20/20]]』に収録された「ネヴァー・ラーン・ノット・トゥ・ラヴ」はマンソンの曲をリメイクした物であったが、この一件でマンソンはデニスに対し報復を示唆した。このエピソードはデニスの余生に大きな影響を与えた。