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'''田中 敏文'''(たなか としぶみ、[[1911年]][[11月9日]] - [[1982年]][[12月20日]])は、昭和期の[[日本]]の政治家。[[青森県]]出身。
 
==人物==
[[九州大学]]卒業後、北海道庁に入庁。林政部森林土木係長、全道庁職員組合委員長となる。[[1947年]]、[[日本社会党]]から初の民選[[北海道知事]]として当選。北海道知事になった時の年齢は35歳であり全国最年少であり、現在においても史上最年少の公選知事である。[[1954年]]の[[昭和天皇]]、[[香淳皇后]]の来道時には全日程をお供した。北海道知事を3期務め、引退した。
 
九州大学の後輩に当たり、後に[[自由民主党]]の大物政治家となった[[中川一郎]]は、敏文に秘書にし川を可愛がっほし教授の推薦がわざわざ紹介状をもら、約束までし会いに行っくれのに紹介状を持参して、田中を訪れたが、来客が多くなかなかしようとせず、しない田川一郎は推薦にしびれを切らし、紹介状を破り捨焼いて帰しまったことがある<ref>『反骨の宰相候補 中川一郎』246-247頁</ref>
北海道知事を3期務め、引退した。
 
== 脚注 ==
九州大学の後輩に当たり、後に[[自由民主党]]の大物政治家となった[[中川一郎]]は、田中敏文に秘書にしてほしいと教授の推薦状をもらい、約束までして会いに行ったのに田中はなかなか会おうとせず、中川一郎は推薦状を破り捨てて帰ったことがある。
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