「日向大神宮」の版間の差分

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位置={{ウィキ座標2段度分秒|35|00|24|N|135|47|43|E|}}|
祭神=(内宮)天照大御神・多紀理毘賣命・市寸島比賣命・多岐都比賣命<br/>(外宮)天津彦火瓊々杵尊・天之御中主神|
創建=顕宗天皇の御代治世|
社格=式内社(小)・村社|
例祭=外宮[[10月16日]]<br/>内宮[[10月17日]]|
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==歴史==
社伝によれば、第23代[[顕宗天皇]]の御代治世、勅願により筑紫日向の高千穂の峯の神蹟より神霊を移して創建された。「宇治郡名勝誌」、「京都府山科町誌」には、[[延喜式神名帳]]小社に列する「[[山城国]][[宇治郡]] 日向神社」とするが、「[[山城名勝誌]]」、「山城志」、[[伴信友]]の「[[神明帳考証]]」では別のものとしている。
 
[[応仁の乱]]で社殿等を焼失し、祭祀が一旦途絶えた。[[江戸時代]]初期に篤志家によって旧社地に再建され、交通祈願の神社として有名になった。