「ジャン=ピエール・ノルブラン・ド・ラ・グルデーヌ」の版間の差分
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'''ジャン=ピエール・ノルブラン・ド・ラ・グルデーヌ'''([[フランス語]]:Jean-Pierre Norblin de La Gourdaine、1745年7月15日 - 1830年2月23日)は、[[フランス]]出身の画家、素描家、彫刻家、風刺画家。1774年から1804年まで30年のあいだ[[ポーランド・リトアニア共和国|ポーランド]]で暮らし、同国で市民権を得ていた。ポーランドでは'''ヤン・ピョトル・ノルブリン'''([[ポーランド語]]:Jan Piotr Norblin)の名前で知られる。
ノルブランはポーランドの[[啓蒙主義]]時代において最も重要な画家として知られる。彼の画家としての成功はポーランドで実現したもので、作品の受注者はポーランドの最も有力な貴族家門であった。ノルブランは19世紀の始めまで[[パリ]]に帰ることはなかった。彼の作品のスタイルは[[アントワーヌ・ヴァトー]]の影響を受けたことを示しており、また「[[:en:Fête galante|雅なる宴]]」や「[[:en:Fête champêtre|田園の合奏]]」といった華やかな主題と
== 生涯 ==
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