「貞明皇后」の版間の差分
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昭和26年([[1951年]])[[5月17日]]、[[狭心症]]のため崩御。[[享年]]66。皇太子妃時代に[[腸チフス]]に罹った以外は特に大病に罹らず健康であり、この日も恒例の勤労奉仕団への会釈(挨拶)を行なう予定だったが、その準備をしている時に発作を起こし急逝([[崩御]])。なお昭和天皇は当日進講を受けており、一報を聞きしばらく言葉が無かった。
=== 大喪の儀 ===
▲[[ファイル:Funeral of Empress Teimei.JPG|thumb|320px|left|貞明皇后大喪]]
同年[[6月8日]]、貞明皇后と追号された。追号の「貞明」は、『[[易経]]』にある「日月の道は'''貞'''(ただ)しくして'''明'''らかなり」の一文を出典とする。
「[[大葬]]の儀」は[[6月22日]]に行なわれ、昭和天皇は以下の誄辞(るいじ、追悼のお言葉)を述べ
御陵は[[武蔵陵墓地|多摩東陵]](たまのひがしのみささぎ)。歴代皇后の
== 家系 ==
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