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[[水曜会|石井派]]に所属し、参院予算、大蔵、内閣各委員長や、[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]参院議員会長を歴任した。[[1960年]]には[[千葉三郎]]・[[木村篤太郎]]らと右派グループ「素心会」を結成、親[[台湾]]派の立場から[[日中国交回復]]に激しく反発した。また[[高速道路]]網の構築に情熱を傾け、特に[[中央自動車道]]の建設実現に大いに貢献した。
 
追放解除後は[[信越放送]]の顧問を務めていたが[[1968年]]に長野県第二の民間放送会社[[長野放送]]が設立されると初代の会長に就任。[[1980年]]の引退まで勤めている。翌81年秋に回顧録『わが九十年の生涯を顧みて』([[講談社]])を刊行している。
 
{{先代次代|[[大蔵大臣]]|第40代:1939-1940|[[石渡荘太郎]]|[[桜内幸雄]]}}