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[[ファイル:Capitoline Brutus Musei Capitolini MC1183.jpg|200px|thumb|right|ブル
'''ルキウス・ユニウス・ブル
==経歴==
ブル
王の信任を得たルキウスは王の息子の人間と[[ギリシア]]の[[デルポイ|デルフィ]]に神託を伺いに赴いたり、殊にデルフィの神託の折、タルクィニウスの息子は「次の王は誰になるか?」というお伺いを立ててみたところ、母なるものに接吻するもの」と返ってきた。「母なるもの」を「大地」と解釈してブル
ルキウスがローマから離れていた間に、近親の既婚女性[[ルクレ
ルキウスはすぐさま国王タルクィニウスとその一族を[[エトルリア]]へと追放させることに成功し、以後は王を置かずに、本来は王の諮問機関であった[[元老院 (ローマ)|元老院]]に政務を担わせることとし、元老院の代表として2人の定員で「[[プラエトル]]」という役職を設置<ref>当時のプラエトルは共和政ローマの最高の地位にあった。のちにプラエトルの職務は[[コンスル]]に代わられるようになる。</ref>、亡きルクレティアの夫[[ルキウス・タルキニウス・コッラティヌス]]と共に自ら就任した。
その後、亡命した国王タルクィニウスが他の[[エトルリア人]]勢力と同盟を結んでローマに侵攻、またローマ内でも王政復古を画策する王党派の陰謀が明るみに出るなど受難が続くが、ルキウスは陰謀に加担していた自分の息子[[ティトゥス・ユニウス・ブル
死後も共和政ローマの象徴として見做され、[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]が王位への野心を露にしたときには、ルキウスの像に「ブルトゥスは最初の執政官となって王を追放したのに、こいつ(カエサル)はコンスルを追放して、ついに我々の王位に上り詰めた」と書かれたと伝わっている<ref>[[ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエトニウス]]「皇帝伝」カエサル [[wikisource:The_Lives_of_the_Twelve_Caesars/Julius_Caesar#80|80]]他</ref>。
==脚注==
<references />
{{Commons|Lucius Junius Brutus}}
{{DEFAULTSORT:ゆにうす ふるうとうす るきうす}}
[[category:共和政ローマの人物]]
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