「カジミール・マレーヴィチ」の版間の差分

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[[ロシア帝国]]領ウクライナのキエフ近郊の村に生まれる。両親は[[ポーランド人]]であり、マレーヴィチには[[ウクライナ語]]で話し、[[ポーランド語]]で書き、後に習得したロシア語で活動を行うという語学的分裂が生まれたとされる。
 
[[1910年]]頃には、[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]などの[[キュビスム]]や[[未来派]]の強い影響を受けて派生した、色彩を多用しプリミティブな要素を持つ「立体=未来派([[立体未来主義|クボ・フトゥリズム]])」と呼ばれる傾向の作品を制作していた。その後の[[1910年代]]半ばに作風は一転し、無対象を主義とする「[[シュプレマティスム]](絶対主義)」に達した。<br>彼が試みたのは、精神・空間の絶対的自由であり、ヨーロッパの[[モダニズム]]と「未来派」はここに「シュプレマティスム」という到達点へ至った。彼は前衛芸術運動「ロシア・アヴァンギャルド」の一翼を担い、純粋に抽象的な理念を追求し描くことに邁進した。作品は『黒の正方形(カンバスに黒い正方形を書いただけの作品)』や『白の上の白(の正方形)』(白く塗った正方形のカンバスの上に、傾けた白い正方形を描いた作品)など、意味を徹底的に排した抽象的作品を追しており、戦前における抽象絵画の1つの到達点であるとも評価されている。また、その前衛的主張ゆえに[[ロシア構成主義]]に大きな影響も与えた。
 
[[1920年代]]には、巨大建造物を想起させる『シュプレマティスム・アーキテクトン』シリーズという造形物を設計し構成。この頃、鮮やかな人物画を描くなどやや具象寄りの表現も行う。