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[[延喜]]13年([[913年]])[[掃部寮|掃部助]]。延喜18年([[918年]])[[醍醐天皇]]の[[蔵人]](六位蔵人)。翌延喜19年([[919年]])[[近江国|近江]][[掾|大掾]]を兼ねる。[[延長 (元号)|延長]]6年([[928年]])五位蔵人。延長8年([[930年]])醍醐天皇の崩御に伴い蔵人を辞任するが、[[朱雀天皇]]の即位後、再び蔵人に任ぜられる。[[承平 (日本)|承平]]7年([[937年]])子の[[源信明|信明]]を六位蔵人に任官させるため、蔵人を辞する。[[天慶]]4年([[941年]])近江守として任国へ下向した。
[[歌合]]や屏風歌で活躍し、[[紀貫之]]からは辞世の歌を贈られた。『[[後拾遺和歌集]]』以下の[[勅撰和歌集]]に21首が入集。[[家集]]に『公忠集』がある。また、[[香道]]や[[鷹狩]]に優れていた。
== 逸話 ==
公忠は鷹狩
*公忠は公務の間、予め馬をどこかに繋いでおき、公務が終わると毎日のように鷹狩
ほかにも『[[大和物語]]』・『[[宇治拾遺物語]]』・『[[江談抄]]』に逸話が残されている。
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