「クラウス・スリューテル」の版間の差分

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| image = Dijon mosesbrunnen4.jpg
| imagesize = 200px
| caption = 『モーゼの井戸』<br />シャルトルーズ・ド・シャンモル修道院
| birthname =
| birthdate = [[1340年]]頃
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スリューテルは[[ブルゴーニュ公国]]の首都が[[ディジョン]]に遷都する以前のブリュッセルで、1385年から1389年にかけてジャン・デ・マルヴィルの助手として、そして[[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|ブルゴーニュ公フィリップ2世]]の宮廷彫刻家として活躍した。1389年から死去するまで宮廷彫刻家兼大公の近侍 ([[:en:valet de chambre]]) の地位にあり、死後その地位は甥に引き継がれた。
 
スリューテルは古代ギリシア・ローマ時代の壮大な規模で写実主義の人物彫刻像を復興した。後期の作品では表情、姿勢、そして衣服のドレープで彫刻された人物の感情を表現している。特に衣服の深い折り目の描写は多くの芸術家たちに模倣されるものとなり、多くの作品に表現された。彼のもっとも有名な作品はディジョン郊外にフィリップ2世が設立したシャルトルーズ・ド・[[シャンモル修道院 ([[:en:Champmol]]) のために作成された『'''モーゼの井戸'''』である。また、シャルトルーズ・ド・シャンモル修道院に安置されたフィリップ2世の棺の彫刻もほとんどが彼の手によるものである。この棺は修復されて、現在はディジョンの歴代公爵の宮殿に置かれている。
 
== 出典、脚注 ==