削除された内容 追加された内容
やりたこ (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Takashieikou (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
2行目:
 
== 概要 ==
通常[[前頭]]筆頭で[[勝ち越し|勝ち越す]]か、[[幕内]]上位で大きく勝ち越せば昇進できる。逆に負け越せばすぐ平幕に陥落する。ただ最低でも東西に1人ずつ必要なため、適任者がいない場合、前頭5枚目の8勝7敗程度でも昇進する場合がある。このことが実力の伴わない三役を作り出しているとの批判もある。その意味で平幕との差はそう大きくはない。まれに小結で[[負け越し]]ても、前頭上位に[[勝ち越し]][[力士]]がいなければ、翌場所小結に留まることができる場合もある。例として[[1996年]]9月場所、東小結の[[武双山正士|武双山]]は7勝8敗と負け越したが、翌1996年11月場所は西小結に留まった。一方で小結から関脇に昇進する場合、全[[取組]]が[[横綱]]・[[大関]]を含む最上位力士とあたる中で勝ち越しが必須であり、関脇との間には数枚分の差があると見るべきである。また、関脇に負け越しがなかった場合小結に据え置かれる場合が多い。10勝ないしは11勝を挙げると昇進となることがある。関脇に比べて3人以上(以前の[[張出]])が出ることは少ない。この傾向は[[2000年代]]辺りから強くなり、さらに昇進は東筆頭の勝ち越しが成績にかかわらず最優先されるようになったため、昇進枠が少ない場合、それより下の番付で単純計算で東筆頭力士を上回る成績を挙げたとしても昇進できないケースが生じ始めた。例として[[2008年]]3月場所、[[黒海太|黒海]]は西前頭5枚目で12勝3敗の成績を挙げたが、東筆頭で8勝7敗の[[朝赤龍太郎|朝赤龍]]の昇進が優先され、翌場所は東筆頭に留まった。
 
戦前まで、小結で優勝に近い成績をあげ、関脇を飛び越して大関に昇進するケースも見られたが、戦後ではまったくない。ただ、[[1991年]]11月場所の小結[[琴錦功宗|琴錦]]は前場所優勝していたので、この場所の終盤、連続優勝なら大関抜擢も検討するという幹部の声もあったが、結果的には優勝を逃し、昇進の話題自体が出なかった。
 
なお西方小結は、初日に(その場所では最高地位の[[関取]]となる)東方横綱と対戦することが多い。
 
28 ⟶ 29行目:
|[[2000年]](平成12年)5月場所||西小結||[[魁皇博之]]||14勝1敗||東関脇(11勝4敗)||大関☆
|}
*[[四股名]]は優勝当時の四股名。
*成績の()内は[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]。同制度は[[1947年]](昭和22年)6月場所から導入、それ以前の優勝同点は上位者優勝。
*★沖ツ海は現役死。