「近藤長次郎」の版間の差分

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そして長次郎は汽船・[[ユニオン号]]を購入したが、このときに長州藩とユニオン号の引渡し条件をめぐって諍いを起こしてしまう。しかし龍馬が仲介したため、長州藩は謝礼金を支払ったといわれている。
 
長次郎は龍馬と同じく狭い日本にいるよりも世界に羽ばたく国際人になりたかったようであり、ユニオン号引渡しで長州藩から得た謝礼金をイギリス商人の[[トーマス・グラバー]]に渡した上でイギリス船に乗り込んでイギリスに留学しようとした。ところが天候悪化により出港が遅れたためにその計画が露見する。しかも長次郎は密かに亀山社中の資金を横流ししていた。このため、これらの罪により社中の隊士たちより切腹を言い渡されることになる。このとき切腹を命じたのは龍馬自身であったという説が一部にあるが、実は当時龍馬は薩長同盟締結のため京都に赴いておりいて長崎には不在だった。したがって、龍馬が長次郎に切腹を命じることは'''物理的に不可能'''である。り、長次郎の切腹は、龍馬不在中に社中の隊士が決定したことである可能性が高い。享年29。
 
なお、龍馬の妻である[[楢崎龍|お龍]]は後に回顧録「千里駒後日譚」(せんりのこまごじつのはなし)の中で長次郎の訃報を聞いた龍馬が「己が居ったら殺しはせぬのぢゃった」とその死を悼んでいたという証言を残している。