「ヘンク・ブラウアー・ロジャース」の版間の差分

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== 略歴 ==
ロジャースはオランダ・インドネシア/アメリカ人のゲームデザイナー、企業家、再生可能エネルギーの運動家である。オランダ生まれのロジャースはいままでいろいろな場所に住んできた(オランダ11年、ニューヨーク8年、ハワイ4年、日本18年、サンフランシスコ7年、で現在ハワイ7年)。
ロジャースは[[オランダ]]で生まれ、11歳から[[ニューヨーク]]市に住み始め、ストイフェサント高校でコンピュータプログラミングを学び始め、ハワイ大学で[[コンピュータサイエンス]]と[[ロールプレイングゲーム]]の研究を行った。その後日本に渡りファンタジー[[コンピュータRPG]]を開発した。初め光栄(現[[コーエー]])からこのゲームを発売する予定だったが、光栄の社長の勧めでハワイ大学時代以来の友人である[[コンラッド・龍弥・小沢]]と共に1983年にビーピーエス(Bullet-Proof Software)社を設立して社長に就任し、翌年1984年に[[ザ・ブラックオニキス]]を発売した。事実上の日本発のコンピュータRPGであるこのゲームは大ヒットし、コンピュータ雑誌のランキングで上位に入り、また長期にわたってランキングにとどまり、[[アスキー (企業)|アスキー]]社の[[ログイン]]誌のソフトウェア大賞を受賞した。
 
1983年、日本初のファンタジー[[コンピュータRPG]]である、ブラックオニキスを発売した。事実上の日本発のコンピュータRPGであるこのゲームは大ヒットし、コンピュータ雑誌のランキングで上位に入り、また長期にわたってランキングにとどまり、[[アスキー (企業)|アスキー]]社の[[ログイン]]誌のソフトウェア大賞を受賞した。
1989年には弟の[[エドワード・S・P・ロジャース]]の勧めで[[アレクセイ・パジトノフ]]の[[テトリス]]の日本紹介に関与し、同じく弟の[[リチャード・チャールズ・ロジャース]]とロシアに直接おもむき、[[ゲームボーイ]]版テトリス([[任天堂]])の版権取得に携わった。1990年にはパジトノフの援助を得てAnimaTek社を設立、独立を果たす。1996年、アメリカに帰国し、[[ブループラネットソフトウェア]]社を設立する。この社名は略称の[[頭字語]]がBPSとなるように命名された。
 
1989年にはゲームボーイ版テトリス([[任天堂]])の権利を取得する為、ソビエト連邦へと渡る。その後ロジャースとテトリスの制作者、アレクセイ・パジトノフはテトリス・ホールディングを設立し、世界中のテトリス権利を制御している。以来様々なソフトウェア会社を設立した。((Bullet-Proof Software, AnimaTek, Blue Planet Software, The Tetris Company, Tetris Holding, Blue Lava Wireless)。
なお、現在テトリスの版権を管理する[[ザ・テトリス・カンパニー]]はブループラネットソフトウェア社によって設立された。
 
現在ロジャースはオンラインカジュアルゲーム、デジタル写真マネージメント、そしてバーチャル・ワールドの会社を各設立し(Tetris Online, Blue Lava Technologies and Avatar Reality)新しいテクノロジーを革命化するプロジェクトに関わっている。その上、ハワイの化石燃料における依存を無くすための非営利団体、Blue Planet Foundationを作成し、炭素ベースの燃料の使用を終わらせるゴール目指し、活動している。
 
== 携わった作品 ==