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'''皆春院 '''(かいしゅんいん、生年不詳 - [[天保]]14年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]([[1843年]][[6月7日]]))、は[[江戸時代]][[後期]]の女性で11代将軍・[[徳川家斉]]の側室。俗名は'''八重'''。姓は土屋氏。実父は御三卿・[[清水徳川家]]の家臣・牧野多門忠克。義父は土屋弥三郎知光。家斉との間に[[徳川斉明]]、盛姫([[鍋島直正]]室)、[[池田斉衆]]、[[松平斉民]]、信之進、[[喜代姫]]([[酒井忠学]]室)、[[松平斉良]]、[[蜂須賀斉裕]]の6男2女がいる。
 
==生涯==
八重は[[文化 (元号)|文化]]5年([[1808年]])頃に家斉の側室となった。側室となった当初は'''美尾'''と称したが、のちに八重に名を改める。[[天保]]12年([[1841年]])に家斉が死去、八重は落飾して皆春院と号した。この折に剃髪を願い出たが許可されず摘髪となった。また、家斉没後に与えられた大奥での位は上臈御年寄上座であるが、あくまで形式上の物と思われる。のちに二之丸に引き移り、[[天保]]14年[[5(1843年)5月10日]]([[1843年]])にそこで死去した。葬地は不明。
 
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