「リオネル・ファイニンガー」の版間の差分

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1937年、妻がユダヤ系だったため迫害を逃れるため[[ニューヨーク]]に戻る。1956年、そこに没した。
 
 
初期の作品には油彩画にもカリカチュア的な表現が見られ、鮮やかな色彩や、ストーリーを想像させる人物画は、ポスターや絵本の挿絵のような印象を与える。
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ドイツの迫害の影響で再びニューヨークの戻った後は、喪失感から画風は大きく変化した。生涯の作風は一人の作品とは思えないほどである。
 
 
 
なお、[[写真家]]の[[アンドレアス・ファイニンガー]]([[:en:Andreas Feininger|Andreas Feininger]]; 1906年-1999年)と[[ルックス・ファイニンガー]](T. [[:en:Lux Feininger|Lux Feininger]], Theodore Lukas Feininger; 1910年生まれ)は息子である。
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現在、[[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]]の[[宮城県美術館]]で回顧展「ライオネル・ファニンガー展 光の絵画」が開かれている。(3月1日まで)
 
 
==国内で開催された展覧会==