「相生橋 (東京都)」の版間の差分

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それぞれ「相生大橋」(橋長147.0m)、「相生小橋」(橋長52.7m)、幅はいずれも7.2mの木橋で、16万9628円の予算で[[1903年]](明治36年)3月に開通した。後に[[東京都電|市電]]を通す目的から[[1919年]]([[大正]]8年)8月に10.8mの幅に拡幅され[[1923年]](大正12年)7月には月島まで市電が開通することとなった。
 
しかしわずか2ヵ月後の9月1日の[[関東大震災]]によって上流から流れついた炎上した船舶により延焼、焼失してしまう。3年2ヶ月にわたって再び月島は孤島と化すが、[[1926年]](大正15年) に震災復興事業の最初の橋として、鉄鋼ゲルバー橋が再架橋された。[[永代橋]]から隅田川が派川され、大型船の通がないことから[[桁橋]]を採用し、塩害で橋が傷んでも簡単に修理ができるように大橋が7径間、小橋が5径間と橋脚が多い橋である。なお上水道の管も通っていた。
 
のちに[[1980年]]([[昭和]]55年)に小橋下が埋め立てられて、中之島が地続きとなった。さらに交通量の増大に伴って老朽化が深刻になったため、[[1998年]]([[平成]]10年)12月に現在の橋に架け替えられた。