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'''アントニーン・ノヴォトニー'''('''Antonín Novotný''', [[1904年]][[12月10日]]-[[1975年]][[1月28日]])は、[[チェコスロバキア共産党|チェコスロヴァキア共産党]]第一書記([[1953年]]~[[1968年]])、チェコスロヴァキア大統領([[1957年]]~1968年)。
 
[[1921年]]、チェコスロヴァキア共産党に入党。[[第二次世界大戦|第二次大戦]]中の[[1941年]]から[[1943年]]まで強制収容所で過ごす。戦後、[[プラハ]]を拠点に活動し、頭角を現し、[[1951年]]に中央委員会幹部会員になる。1953年、[[クレメント・ゴットワルト]]の死後、党第一書記に就任。1957年には大統領職も兼ね、[[1956年]]の[[スターリン批判]]に起因する体制の動揺を最小限に食い止め、社会主義体制の建設を推進。
 
しかし、[[1960年代]]に入り、経済成長が鈍化し、5カ年計画の見直しを迫られる。また[[スロバキア|スロヴァキア]]蔑視の態度から、[[スロヴァキア共産党]]指導部と対立するようになる。共産党体制への批判や改革要求は、次第に党第一書記と大統領を兼任しているノヴォトニー個人に収斂していき、最終的に、1968年1月の中央委員会総会で、第一書記の職をスロバキア出身の[[アレクサンデル・ドゥプチェク]]と交代に明け渡した。3月には大統領を辞任。8月の軍事介入後も政界に復帰することはなかった。
 
大統領辞任「正常化」後の[[1971年]]名誉回復を果たした。1975年1月28日死去(70歳)。
 
{{先代次代|[[チェコスロバキア|チェコスロヴァキア]]大統領|[[1957年]] - [[1968年]]|[[アントニーン・ザーポトツキー]]|[[ルドヴィーク・スヴォボダ]]|}}
{{先代次代|[[チェコスロバキア共産党|チェコスロヴァキア共産党第一書記]]|[[1953年]] - [[1968年]]|[[クレメント・ゴットワルト]]|[[アレクサンデル・ドゥプチェク]]}}
 
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