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'''段興智'''(だんこうち)は[[大理国]]の22代国王(後大理国としては第8代)。
 
大理国は[[モンゴル帝国]]の[[クビライ]]の軍の侵攻を受けて、段祥興は相国の高泰祥に迎え撃たせたが、高泰祥は敗死した。段興智は鄯闡に逃れて抵抗を続けた。[[1253年]]、モンゴルの[[ウリャンカダイ]]に敗れて捕らえられ、憲宗[[モンケ]]の引見を受け、一命を許された。大理総管に任ぜられて、モンゴルによる[[雲南]]の平定に従った。[[1260年]]、クビライの謁見を受けるため、弟の[[段実]](段信苴)とともに北上したが、道中で世を去った。[[1261年]]、後大理国向義天定賢王の位を追贈された。
 
大理総管の地位は段実が継いで、以後も段氏によって世襲された。[[1267年]]、クビライの子の[[フゲチ]]が雲南王に封ぜられると、段氏の大理総管もその麾下に組みこまれた。フゲチの子孫の雲南王国は[[梁王国]]とも称される。